日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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第26回12月25日掲載
永生を求めて ―今を生きる―
自分が一つの網の目となって
大きな救いの網を広げていく

いとう・ゆいしん

浄土門主・総本山知恩院門跡
伊藤 唯真 さん

1931年、滋賀県生まれ。同志社大大学院文学研究科修了。文学博士。佛教大学長、京都文教学園学園長、浄土宗大本山清浄華院法主などを経て2010年、浄土門主・総本山知恩院門跡に就任。著書に「浄土宗の成立と展開」ほか。

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 戦後、日本は驚異的な物質的繁栄を遂げました。それに目を奪われて多くの人々が現世主義に陥り、生のみに執着する傾向が強まったように感じます。

 とくに、若者は生死の問題を遠くへ追いやってしまったのではないでしょうか。現世のみを中心に考え「死んだらそれでおしまい。あの世(後世)なんて認めない」と、考えがちです。

心の領域を軽視し
あの世の存在感を
衰弱させる

 病院で死を迎えるケースが多くなり、身近な人の死を見つめる機会が減ったことが、一つの原因でしょう。昔は、人の臨終に家族や親戚が枕元に集まりました。

 死にいく者は、残る者に感謝の言葉を伝え、訓戒やメッセージを与えました。亡くなると、僧侶の枕経や通夜などの儀礼が行われます。そこで「死んだ後に何かがあるから儀礼がある」と気付かされたのです。

 心の領域を軽視する風潮も、あの世の存在感を衰弱させた原因だと思われます。現代人は、父祖をはじめ過去の人たちが発するあの世からのメッセージを受け取る力が衰えた。だから後世を見据えて現世を考えることが難しい。生死は連続していて、現世と後世を考えることは同等の重さを持っていることに気付くべきです。

死は命の再生 終わりでは決してない

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 後世を忘れると、生死の問題が見えなくなります。仏教では、死は命の再生だと考えます。命とは目に見える肉体的な命ではなくて過去から未来に続く大きな命の流れのこと。死とは、より大きな命の流れに合流することです。つまり、死は不滅の命へ再生することであって、「死んだら終わり」では決してないのです。

 浄土教では、念仏を唱えることで、誰でもあの世-浄土へ往(い)って生まれること(往生)ができる、と教えます。念仏を声に出すことにより、念仏の環境の中で大きな命の中へ入っていく。浄土では、「倶会一処(くえいっしょ)」といって、菩薩や亡き肉親などとも出会うことができます。倶会一処に思いをいたせば、現世の迷いや執着を断つことも可能になります。

 法然上人は、浄土の様子よりも、「日頃、念仏申して極楽へ参る心」の大事さを繰り返し教えられました。忙しい人には、仕事と念仏の一体化を説かれた。そのように死後を意識して念仏することで、人は現世での生き方をも規定されることになります。

災厄の中でも後世を思うことが大きな力に

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 日本はことし、東日本大震災という災厄に見舞われました。被災地では、初盆に踊りなど地元の古い芸能が復活して、みんなが元気を取り戻す機会になったと聞きます。海では精霊流しも行われました。「あの世を思いやる」心はやはり、いざという時には大きな力となるのです。

 尊い命を亡くされた人々は帰って来ませんが、大きな命、倶会一処を思い、残った者で支え合わなければなりません。誰でも自分が貢献できるものを持っています。介護ができる、力仕事ができる。それをわが網の目とするのです。

 自分が一つの網の目になり、他の一人一人がつくる網の目とつなぎ合わせていく。そうして大きな救いの網を広げましょう。あの世の人たちが私たちを見守っています。

<日本の暦>

除夜

 震災と津波、原発事故、風水害と、空前の災厄に見舞われた2011年も、あと6日で暮れようとしています。

 一年最後の夜-除夜は「旧年を除く夜」という意味です。古いものを捨てて新しいものに移る時。この夜、一年の罪を懺悔して煩悩を払い、清らかな心で新年を迎えるために打ち鳴らされるのが「除夜の鐘」です。

 気がかりなのは仮設住宅や避難先で暮らす被災者の人々。どんな思いで108つの鐘の音を聞くのか。わずかでも、旧年のつらさや悲しみを捨てられたら、何か希望を抱いて新年を迎えられたらと、願わずにはいられません。

<リレーメッセージ>

ポーセレン・アーティスト・國生 義子さん

■人をつなぐ力

 京都は、人をつなぐ天才である。人と人とをつなぎ、生かし、育み、そして幾重もの可能性を生み出していく。京都が伝統を誇りつつ新しいものをつくり出してきたのは、人の力を生かしてきたからであろう。1200年を超す伝統と文化は、この力なくしては存在しえない。

 博多から京都に居を移すに際して言われたのは、「京のぶぶづけ」や「一見さんお断り」など若干の揶揄(やゆ)を込めた京都人評であった。長い歴史と文化を持つ土地柄だけに、人間関係の煩雑さを覚悟して移り住んだ。しかし、それは杞憂(きゆう)に過ぎなかった。

 京都人の矜持(きょうじ)に学びながら、今、私はポーセレン・アートというヨーロッパの陶磁器の技法を使った上絵付けを指導している。伝統工芸がひしめくこの地で、趣味でしかなかった西洋絵付けを、多くの出会いを通じて、ライフワークとなし得たのは、人のつながりを大切にする京都人の懐の深さである。

 ことしは、東日本大震災などの自然災害の脅威にさらされた年であった。このような危機に発揮された人と人の繋(つな)がり-「絆」の大切さ、重さが再認識されなければならない。


(次回のリレーメッセージは、フラワーコーディネーターの浦沢美奈さんです)

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