日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第19回11月6日掲載
議論する姿勢
「寄合」に戻れとは言わない…
イデオロギーと政策を真摯に

やまもと・けんいち

作家
山本 兼一 さん

1956年、京都市生まれ。同志社大文学部美学及芸術学専攻卒業。出版社勤務の後、フリーライターを経て作家に転身。長編デビュー作は2002年の「白鷹伝」、04年に「火天の城」で松本清張賞、09年には「利休にたずねよ」で直木賞受賞。

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 時代が変わった-という言い方が好きではない。

 昔がよくて、今は悪くなったという言い方で現在の状況を批判したくない。

 人の心や生き方はそんなに変わらない。

振り返るほど
よかった
時代などなかった

 懐かしんで振り返るほどよかった時代などなかったのではないのか、と思っている。

 現代社会では、家庭の崩壊がとりさたされるが、戦国時代は親兄弟で戦い、殺し合った。児童虐待より悲惨な赤ん坊の間引きがふつうに行われていた。武家社会では賄賂(わいろ)が横行していたし、奉行所は拷問(ごうもん)によって容疑者を取り調べていた。

 そんなことを考えれば、現代は恵まれている。

 いろんな社会問題が起こるたびに、世論はそれを非難する方向に動きがちだ。しかし、たいていの問題は、ずっと昔からその形のまま続いている。新しく生まれた問題などはいたって少ない。人が気づいていなかったか、気づいていなかったフリをしているだけの話である。

和やかに調整 総意をまとめた 「原点」はあるが

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 日本人の民族的な特性について考えるとき、わたしは民俗学者宮本常一氏の『忘れられた日本人』を思い浮かべる。

 この本には、かつての日本人の農漁村での暮らしぶりが描かれている。

 なかでも、大いに考えさせられたのは、対馬の漁村での寄合(よりあい)のようすである。

 昭和20年代か30年代のことらしいが、おそらく、日本では数百年前から、そんなふうな寄合がどこの村でも開かれていたと思われる。

 宮本氏が漁村に伝わる古文書を見せてほしいと頼むと、各浦から総代が集まって来て寄合が開かれた。皆、羽織袴に扇子を手にした礼装で、手漕ぎ舟で一時間もかかる浦からも集まって来たのである。

 その寄合は、じつにのどかである。話がときに脇にそれても、だれも文句を言わない。議題や出席者とすこしでも関係あることなら、すべてが話題となる。

 古文書を見せるか見せないかのことなら数時間で結論が出たが、これが村の大事となるとそうはいかない。延々と三日くらい平気で続く。そのあいだに簡単な食事が出るし、近所で家に帰りたい者は帰ってまた来る。その場で眠る者もいる。そんな風に話し合いを続けて、みんなもうなにも言うことがなくなってから、総意としての結論を出す。

 これが、日本的な民主主義の原点であろう。議論というよりも、利害の調整である。現代の政党が首班選挙前に、候補者の調整をおこなうのと同根であろう。

巨大国家の大事を 決定するには 足りない

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 日本人が忘れてしまった原点に帰るべきだなどと唱えるつもりはさらさらない。むしろ、逆である。

 こういう集まりは、村の寄合にはふさわしくとも、巨大国家の大事を決定するのにふさわしいシステムではない。まったく新しい問題である原発の存続を議論するなどにはまことに不向きである。

 日本人が忘れていたのは、イデオロギーと政策を真摯(しんし)に議論する姿勢を身につけることである。

 いまからでも遅くない。そんな政治姿勢を育てるべきだと考えている。

<日本の暦>

立冬(11月8日)

 この日から立春の前日までが、暦の上では冬。天明7(1787)年に太玄斎が著した暦の解説書『暦便覧』には「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明されています。太陽の光が弱まり、日脚も短くなり、木枯らしが舞うなど、まさしく「冬の気」が満ち始める時候。また11月最初の亥の日は「火入れ」の日で、この日初めて火鉢(ひばち)や炬燵(こたつ)に火を入れ、住まいの暖房を始めます。茶家では炉を開き、炉開きの茶会でうれしく冬を迎えます。

<リレーメッセージ>

ヴァイオリニスト・長岡京室内アンサンブル音楽監督・森 悠子さん

■日本人の心の音

 35年のヨーロッパ生活、「日本人です」というと、京都は世界で一番美しい町と言う。

 私もそのように考えたいと思っていた。クローデルが作った関西日仏学館の庭には噴水があり鯉(こい)も泳いでいた。それも無くなり、町屋敷を見ていたのにいつの間にかブルドーザーであっという間に壊す。いつしかそこに何があったのかさえ忘れる。そして、普通の美しくないコンクリートのビルディングや、不揃(ふぞろ)いのアメリカ風のつまらない家々がこの京都に建つ事すら私の想定外だった。

 先日「都々逸(どどいつ)」を聞いた。言葉のおもしろさもあるけれど、弾いておられる三味線の音、まるで魅入られるような繊細な音と絶妙な間(ま)…。 今はみんな絶叫している。音楽も大きな音を良しとしている。心に触れる、繊細でいながら心に深くしみいる音楽を見つけた。まだ残っている…、とホッとした。ドレミと規則正しいリズムを学び過ぎたかも知れない。その外(そと)には無限の広場があることをクラシック音楽の演奏家達も感じてほしい。

固定観念に縛られている日本人は何処(どこ)か寂しい。


(次回のリレーメッセージは、京都府立大学キャンパスライフ アドバイザーの藤吉紀子さんです)

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