日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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第18回10月30日掲載
日本料理の心
伝統を守りながら革新する
この心が何より大切と思う

たかはし・えいいち

瓢亭14代主(あるじ)
髙橋 英一 さん

1939年、京都市生まれ。同志社大学卒業後、東京、大阪の料亭で修業。64年に瓢亭に戻り、67年に14代主人を継承。京都料理芽生会会長、全国芽生会連合会理事長、京都料理組合組合長、日本料理アカデミー会長を歴任。京名物百味会会長。「瓢亭の四季」「京都・瓢亭 懐石の器と心」「瓢亭の点心入門」「もてなしの美学 旬の器」など。

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 料理が性に合っており、自然とこの道に入りました。調理場が遊び場でしたし、小学生低学年から包丁を握って手伝っていましたね。とにかく手先を動かすのが好きですから、料理していたら楽しいわけです。包丁持つのが好きなんです。料理人の家に生まれた巡り合わせに感謝しています。

修業で学んだ
主人の言動と
先輩後輩との関係

 小さい頃は、鳥を飼うのも好きでした。もうひとつ好きなのは、花を育てることです。それを母に生けてもらったり、私自身が生けたりしましたね。自然と茶花に関する知識も頭に入って来ました。学校を卒業して東京の大きな料亭と大坂の小さな料亭に修業に出ました。料理を学ぶのではなく、亭主の後姿や日々の言動、先輩後輩のあるべき人間関係を勉強しました。いずれもご主人は人格者でした。そして、瓢亭に戻ってそれからはずっと懐石料理の料理人としてやってきました。あっと言う間の60年でした。

懐石の深さ語るより 自然体で 謙虚でありたい

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 よく聞かれます。壁にぶつかったことや辛かったことがおありでしょうと。それが不思議なことに一回もないんです。まさしく性に合っていたとしかいいようがないのです。このお客さまには、この料理、この器、器と言っても土もの、石もの、塗り物と色々あります。料理と器は着物とそれを着る人との関係に似ていると思います。調和が大事なのです。そして茶花が彩りを添えます。掛け軸などを選ぶのも楽しみになるのです。まさに季節のなかでそれらは変化していくのです。確かに、懐石料理には細かい決まり事もありますが、それに縛られるのではなく、もっと深いところで楽しんで戴いたらと想います。私は難しいことは言えません。懐石の奥深さを語るより、私の中では自然体であること、謙虚であることが大切なのです。
 お酒と料理ですが、日本料理にはやはり日本酒です。しかし、今の若い方々の感性はずっと進んでいて、ワインよし、焼酎よし、ウイスキーよしとなってきました。そういうご時世なのです。私は否定しません。でも、日本の風土から生まれた日本酒が日本料理を一番引き立ててくれるだろうとは思います。

基礎をしっかり 怠ると 独創は中途半端に

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 これまで創作料理もたくさん作って参りました。大切なのは基礎をしっかりやっておくことです。そうすれば、応用が利きます。基本を怠ると、自分の独創は必ず中途半端なものになってしまいます。食材の持ち味を生かして、自分なりの工夫をし続けることです。だから、私は父とは料理観など全然違うのです。それでいいと思うのです。でも「瓢亭」の枠からは大きく踏み出しはしません。半歩出ることは許されますが、一歩は出ません。
 日本料理は世界に類例のない料理形態かも知れません。何種類もの包丁があり、それを使い分けてこそ日本料理は日本料理となるのです。また器を四季によって替えていくなどは他の国のどこにも見られません。伝統を守りながら、いかに革新していくか、この心が大切だと想います。日本文化と日本料理は切っても切れない関係にあります。日本料理は、日本の伝統文化の凝縮だと思うのです。

<日本の暦>

小雨時々降る(10月31日前後)

 晴れていたかと思えば、急に冷たい小雨。京都では北山あたりから降り始めるように見えるため「北山しぐれ」などとも呼びます。変わりやすい恋心をたとえる「秋の空」とは、この時期の天候のことで、刻々と変化する繊細な心模様を言い得ています。急に降り出すと困る時もありますが、美しい紅葉のためには恵みの雨。秋が深まっていくと、この雨はしだいに霙(みぞれ)まじりになり、やがて霰(あられ)に変わり、いよいよ雪になれば本格的な冬の到来です。

<リレーメッセージ>

箏曲家・福原 左和子さん

■箏(こと)の音(ね)・くらしの音(おと)

 京都の北・船岡山の近く、西陣織の織元の家に生まれた私。通った高校も大徳寺のすぐ横です。我が家の周りは機屋さんが数多くあり、織り機の活気に満ちた小気味良い音が、あちらこちらから聞こえてきました。自然豊かな紫野を渡る風や、樹々のざわめき、暮らしを営む人々のやわらかな喧騒(けんそう)といった、様々なあたたかい音に包まれて成長しました。
 今、箏の演奏家として音色にこだわりを持ち、より良い箏の音を追求しながら、国内外で演奏活動させていただけるのは、やさしい音に囲まれて音楽と共に生活できたからだと感じています。四季折々の表情を見せる趣深い京都の風情が、音を奏でる私の心を育ててくれたのだと感謝しています。けれど残念なことに、時の流れと共に自然環境が悪くなり、生活様式も様変わりして、私を包む暮らしの音も変化してしまいました。
 自然の音、心地良くあたたかな、くらしの音を「忘れもの」にしないよう、これからも精進し、真摯(しんし)に耳と心を研ぎ澄ましていきたい…。そして、箏の一音一音に想いを込め慈しみ、私自身の音色を追い求め、大切に楽曲を奏していきたいと感じています。


(次回のリレーメッセージは、ヴァイオリニスト・長岡京室内アンサンブル音楽監督の森 悠子さんです)

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