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- 第17回10月23日掲載
- 思いやり
「忘己利他」の教えが残る京都
今一度、育んだ心に思いを…
作家
瀬戸内 寂聴 さん
1922年、徳島市生まれ。東京女子大卒。代表作に「夏の終り」「美は乱調にあり」「源氏物語」(現代語訳、全10巻)など。73年得度、天台宗僧正。2006年文化勲章受章。
京都人は昔から茶道や華道が盛んで、正式にそれを習わないでも、見様見眞似で花も活ければ、茶をたてて客にすすめることも出来た。
花もお茶も
自分のためでなく
他者への愛だった
花は自分のために活けるのではなく、いつ訪れるかわからない客の目や心を慰めるために活けていた。
暑い時に冷たい茶を、寒い時はあたたかい茶を出して客をもてなすのも、自分のためではなく、客の欲するものを想像してそれを手速く与えるという思いやりの心からであった。
暑かろう、寒かろう、咽喉が乾いているのではないかと、相手、つまり他者の体調や心を想像することが思いやりであり、思いやる心は即ち、他者への愛であった。
千年の都に 備わった 気品、ゆとり…
華道も茶道も他者(客)の心を思いやる練習をすることであった。京都人はそれを代々、子供に躾けることを当然の親の義務としてきた。
それが千年の都に備わった気品であり、ゆとりでもあった。京都が日本の首都でなくなってから、すでに一四四年もすぎている。
その間に日本は長い戦争をして主要都市は爆撃にあい、広島、長崎は原爆というかつてない恐ろしい武器で壊滅してしまった。
それでも京都は、ほとんど無傷でその難を逃れている。その後も度々の地震や津浪の被害からもまぬがれてきた。
京都の自然は千年昔のままに美しく四季折々の楽しみを、今も惜しみなく京都に住む者に与えてくれつづけている。
接待の奥ゆかしさ いつしか 失っていたかも
しかし、人の心は自然よりはかない。度々の天災からも無痕だったせいか、京都人はあのやさしい思いやりや、厚い接待の奥ゆかしさをいつか見失ってしまったようだ。
今度の東日本の大災害のあと、陸前高田の被災の松を、大文字の送り火に受ける受けないで、二転三転した無様な現象は恥さらしであった。
京都ばかりではないだろう。敗戦後の日本人は自分の生活の立て直しに精一杯で、他者への想像力、すなわち思いやりと愛を忘れてしまったようである。
今からでも遅くない。
幸い京都には日本天台宗の開祖、伝教大師最澄の「忘己利他(もうこりた)」の教えが伝わっている。自分を忘れ他者の利益や幸福のため尽くすことこそが慈悲の極みだという。日本が、いや世界中がかつてない不安におおわれている今こそ、忘れていた「思いやり」をとりもどそうではないか。
<日本の暦>
霜降(そうこう) (10月23日ごろ)
霜が降り始め、秋のもの寂しさが募るころ。北の地方では早朝、草木や地面が白く染まる日が増えてきます。七十二候も、この時期を「霜始降」(しもはじめてふる)と表現しています。
暦の上では晩秋でも、京都市内はここからが観光の秋本番。22日は時代祭と鞍馬の火祭が重なり終日、人の波が続きます。一日の最低気温が10度を下回って、昼夜の寒暖差が広がると紅葉は一気に進行。待ちに待った錦秋の訪れです。
<リレーメッセージ>
■安永九年のガイドブック
京都は四季を通じて美しい。とりわけこの季節、南禅寺、永観堂、若王子と続く道筋の錦繍(きんしゅう)は見事で、長くこの界隈(かいわい)に住んでいた私は、誇らしくさえ感じます。今年もガイドブックを片手に多くの観光客が訪れていますが、まるでわが家に出迎えるように、「ようこそ、おこしやす」という気持ちになってしまいます。
ガイドブックといえば、その始まりは一七八〇年(安永九年)に発行された『都(みやこ)名所図会』ということになるようです。大阪の絵師、竹原春朝齋が図版を描き京都の書林(書店)「吉野屋」から出版されました。全六巻の本で、一年間で四千部を販売したと言われています。当時としては大変なベストセラーで、その時代、すでに京都には高度な木版印刷・出版文化があったことがうかがえます。
今、落ち葉の降り積もった道を歩けば、その下に多くの人々がたどった足跡を感じます。墨染めの衣を翻してひたひたと歩いた法然上人や、いかつい風貌ですたすたと歩く親鸞聖人。蓬髪(ほうはつ)を振り乱して馬を駆った足利尊氏。そんな様ざまな時代を生き抜いた人たちの、数え切れない大切な遺産を受け継いで、私たちは今、京都に暮らしています。
(次回のリレーメッセージは、箏曲家の福原左和子さんです)