日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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第12回9月18日掲載
私は自然で、自然は私
極端から極端に行きすぎている
ほどほどのところに話を戻そう

ようろう・たけし

京都国際マンガミュージアム館長
養老 孟司 さん

1937年、神奈川県生まれ。東京大医学部卒、同大学院修了。東大医学部教授などを経て2006年から現職。東京大名誉教授。解剖学・脳科学者の立場から社会評論などに幅広く活躍。著書は「からだの見方」、「バカの壁」など多数。

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 私は小学2年生の時に終戦を迎えた。戦後教育を受けてきた世代である。戦後は古いものが多く消された。法律、特に民法など、意識的に変えられたものが数多くある。それだけでなく、戦後教育のなかでは、明治以来入ってきた西欧文明の影響を受けて、ものの見方、考え方も大きく変わっている。

米を食べることは
田んぼを食べること
自分とつながっている

 例えば、日本には昔、「環境」という言葉がなかった。人間と周囲の自然、環境が、切れ目なくつながっていたからである。今の学生に、「この田んぼって将来の君だよ」と説明してもまったく通じなくなった。田んぼで米を作り、その米を食べることで自分の体ができる。米を食べることは実は田んぼを食べること、田んぼと自分はつながっているということが、かつての日本人の考え方だった。

 人間と自然のつながりを切ったのが、教育のなかで培われた西欧的・近代的な自我である。その結果、環境という言葉ができる。一方、日本の仏教でよく使われる「ご縁」や「縁起」といった言葉が消えてきた。地球上の物質循環を考えたら人間も環境の一部である。しかし、われわれはそのつながりを勝手に切ってしまった。だから、自然が壊されても身を切られるような思いがない。そこから環境問題が引き起こされたのである。

古典的な日本の考え方に近い最新の生物科学

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 ところが最新の生物科学はむしろ、人間から切り離された環境は存在しないと考えるようになっている。有名な「ガイア仮説」でいえば、生物たちは密接につながって相互に作用し、地球全体が一つの巨大な生命体のように自分を安定させる。古典的な日本の考え方に非常に近い。69年に人類で初めて月に降り立ったアームストロング船長は、裸ではなかった。着ていた宇宙服には1気圧の空気が詰まっている。空気が無ければ私たちは一秒も生きていけない。とすれば、空気は私たちにとって命そのものである。

 京都という都市の成り立ちにも、日本的な考え方が現れている。中国やヨーロッパの古代都市はいずれも、城壁に囲まれた城郭都市である。城壁は敵の侵入を防ぐためだけでなく、都市と外界を区画する結界の意味がある。それに比し、日本の都市は京都の原型になった平安京をはじめ、いずれも城郭を造らなかった。自然と都市がつながっているから、城のなかに閉じこもらなかったわけである。日本では、外敵に襲われる危険が無かったという側面もあるが…。

師匠のまねをする できない部分がある それが個性だった

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 現代教育で強調される「個性」も、日本古来の教育とは異なっている。私たちが大学教育で暗黙のうちに教えられたのは「独創性」。師匠と異なる研究をする、それが個性を生むとされている。ところが日本の本来の教育ではまず、師匠のまねをするが求められる。ひたすらまねを続けても、どうしてもまねできない部分がある。それが、弟子あるいは師匠の個性なのである。

 結局のところ、戦争に負けてすべてをひっくり返したことが、多くの忘れものを生んだ。戦前から戦後へ、極端から極端に行きすぎてしまっている。本当はほどほどが良い。その当たり前のところに話を戻さなければいけない。

<日本の暦>

燕(つばめ)去る (9月18日~22日ごろ)

 燕は春の「清明」(4月4日~6日ごろ)に日本へやって来て、9月中旬に南方へ渡っていくとされています。産卵は4月から7月で、ヒナが成長して飛び方を教わり、家族ぐるみで秋に去っていきます。すべての燕が渡り切るわけではなく、そのまま日本で冬を越す「越冬燕」もあるとか。体の色から「玄鳥」、飛び方から「乙鳥」の文字もあてられます。玄は黒という意味で、乙は急旋回・急上昇する軌道の形です。

<リレーメッセージ>

能楽金剛流宗家夫人 金剛 育子さん

■満月の夜に思うこと

 子供のころ、姉と二人、よく母に手を引かれて仏教の講話の会や座禅の会に行った。大人に混じり高僧のお話を聞いていて、「今は幼くてわけがわからなくても、こういうものは毛穴から入るものなのよ」と言われた。また家が近所だったカトリックの聖イグナチオ教会の日曜学校にも通わされた。当時、名司祭の誉れ高いホイヴェルス神父さまが講話の後、「私のような者のお話を聞いて頂いて有難う」と心からお礼を言われ、なんて謙虚な方なのだろうと母が感心していた。

 「いつも謙虚な心を忘れずに」「事を図るは人に在り、事を成すは天に在り」など折に触れ言われて育てられた。今この年代になって果たして母の言葉どおりに生きてこられたかと問うと、甚だ心もとない。その母も、昨秋、満月の日に旅立ってしまった。

 母を失った今、日本人の忘れもの、すなわち私自身がひたすら前ばかりを見て走り続けてきた結果、見失ってしまった大切なものを静かに考えてみたいと思っている。そして京都には、やはり宗教的なものの見方をもう一度日本人の心に、ということを期待したい。


(次回のリレーメッセージは、同志社大文学部教授の植木朝子さんです)

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