日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第9回8月28日掲載
宗教心
相手を慮り、畏敬の念を持つ
仏教は命の尊さを説く「哲学」

もり・せいはん

清水寺貫主
森 清範 さん

1940年、京都市生まれ。15歳で得度。花園大卒業後、清水寺真福寺住職などを歴任。88年、清水寺貫主・北法相宗管長に就任。「人のこころ 観音の心」など著書多数。

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 今、日本人が一番忘れているのは「畏敬」の心ではないでしょうか。言い換えれば、それは「宗教心」だと思います。

心の豊かさと
物の豊かさを混同してしまった

 もう60年以上も前になりますが、戦後、衣食住の充足は大事なことでした。まず、豊かになりたい。しかし、そこで日本人は心の豊かさと、物の豊かさを混同してしまったように思います。「衣食足りて礼節を知る」といいますが、仏教では逆なのです。礼節があってこそで、何よりも心が先なのです。

 その心の問題、つまり宗教心がすっぽり抜け落ちたのです。社会全般、家庭やとくに教育で、このことをタブーにしたことが、現代の心の荒廃を招いたのです。人間にとって一番大事な「命の尊さを教える」。これが宗教の本質だと思っています。

 仏教は「命の哲学」です。仏教は宗派にかかわらず、命のありがたさ、尊さを説いています。すべてのものに命、仏性が宿っているとしているのです。

 「もったい(勿体)ない」という言葉がありますが、これは「体をなくすことなかれ」という意味です。日本人は「体」の中に形だけでなく、心の働きまで含めているのです。ですから心=命を粗末にすること、軽視するということは、とんでもない間違いです。

科学を疑わず盲信してしまった原発事故

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 ことし3月に東日本大震災が発生し、多くの方々が被災し犠牲となられました。復興には被災地の人だけでなく、日本が一体となって取り組まなければなりません。ただ、この震災で感ずるのは、地震と津波は天災だが、原発事故は人災といわざるをえず、極めて命を軽視しているということです。

 日本全体が地震発生源の真上にあるのですから、原発はすべて危険な場所にあります。その危険なものを「安心、安心」と言ってきました。

 戦艦大和の乗組員だった吉田満という方が九死に一生を得て、後に自著に死に際の上官の言葉を書き残しています。「不沈艦といわれた大和の沈没と日本の敗戦は、日本の訓練が足りなかったのではなく、科学に対する情熱と理解が足りなかったのだ」と。科学を盲信(もうしん)し、理解することを思考停止させていたのではないでしょうか。

 科学は、もともと〝疑い〟の世界です。常に疑うところに科学の進歩があるはずです。ところが、疑わずに〝信じた〟のです。信じるというのは宗教の世界です。信じるべきではないものを信じた結果なのです。

トインビー博士が京で説いた「現代の危機」

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 歴史家のアーノルド・トインビー博士が、かつて京都での「現代における危機」という講演の中で「今日ほど危機、危険な時代はない。間違ってボタンを押せば核戦争が勃発(ぼっぱつ)し、すべてが滅びる。それを救う方法は宗教であり、道徳である」と言っています。トインビー博士が日本で、それも仏都・京都でそう言ったということは、大きな意味があります。

 仏教は命の哲学であると申し上げました。命には生物学的な、いわゆる生きている見える命と、それを支える見えない命とがあるのです。見えない命、それこそが宗教です。相手を慮(おもんぱか)り感謝の言葉を述べる。この事は人としての条件の一つです。そして常に畏敬の念を忘れない。そういった表に見えない心を養ってくれるのが宗教心なのです。

<日本の暦>

二百十日 (9月1日ごろ)

 二十四節気を補完する「雑節」の一つとして、江戸時代初めから暦に表れるようになりました。立春から210日目で、稲の開花期に当たり台風襲来の特異日です。農家に限らず要警戒日とされます。昔から「八朔(旧暦8月1日)」「二百十日」「二百二十日」の3日は三大厄日とされ、統計的にも荒れる日が多いようです。

 「二百十日 塀きれぎれに蔦(つた)の骨」(横光利一)。台風上陸のあるなしにかかわらず、季節は確実に秋色を濃くしていきます。

<リレーメッセージ>

ジャーナリスト 木下明美さん

■不易流行

 「昭和生まれの幕末男」で「京魂洋才」の夫と暮らしているので、書いたりしゃべったりすることを仕事にしてはいても、「京都もの」でモノを言うことは避けてきました。それでも40年暮らすうちに、「京都は奥が深い」「京都は狭い」と言われることも、それなりに納得するようになりました。

 若いころは、かつて暮らしたアメリカの合理性が輝いて見えました。例えば、アメリカみたいな機能的な家を造ろう!と意気込んでいたこともありました。ところが「潰(つぶ)したら、それまでよ!」と踏みとどまらせてくれた友がいたおかげで、大正期に建った先代からの家は残りました。家と遺された調度品と着物を受け継ぎ、山水が身近にある京都で暮らせることをしみじみありがたく思う今日この頃です。

 それでも時々、不易と流行の間で揺れ動くこともありますが、ウチにはクーラーという文明の利器はなく、打ち水と扇風機と団扇(うちわ)で冷を取って暮らすうちにやがて秋風が立ちます。

 鴨川を渡って街中に出かけるときには、不易の着物と流行のカジュアル着を着分ける『京都で、着物暮らし』(拙ブログ名)を楽しんでいます。


(次回のメッセージは、京都中央信用金庫専務理事の平林幸子さんです)

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