日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第8回8月21日掲載
根源へのこだわり
論文の質と量で評価される
静かに研究できることも大切

ますかわ・としひで

名古屋大 素粒子宇宙起源研究機構長
益川 敏英 さん

1940年名古屋市生まれ。名古屋大出身。京都大助手時代に書いた小林誠氏との共著論文で2008年にノーベル物理学賞受賞。昨春(2010年)から現職。京都産業大益川塾教授・塾頭、京都大名誉教授。

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 1980年、日本共産党元幹部で中国に長くいた伊藤律氏が帰国した。彼のしゃべる日本語が、「何々であります」と文語調だったことに驚いた記憶がある。確かに、ニュース映画で見る昭和の初めの日本人たちも彼のように話していた。

 ところが最近は、「何々じゃん」などと、語尾まできちんと話さないことが多い。世の中の変化があわただしく、悠長に話していられないのかもしれない。

 日本語は本来、語尾を変えて微妙なニュアンスを現すが、現代の話し言葉からは、そういった余韻が失われたように感じる。

本格的な論文減り
後れ取らないようとりあえず発表

 科学の世界でも、変化の速さにばかり目がいき、根源的なものにこだわりにくくなっているのではないだろうか。

 以前、1940年代前半に書かれた理論物理の論文を読み直したことがある。論文の書き方が非常に重厚だった。研究の意義や歴史から説き起こし、結論に至るまできちんと書いてある。

 最近は、こういう本格的な論文は減っている。ネイチャーやサイエンスなどの科学誌では、代わりに「レター」の投稿が増えている。「レター」はもともと、少し面白い話題を広く伝えるために研究者が出す「手紙」の欄だった。今は、研究でわかった部分だけをとりあえず発表する場所になっている。競争が厳しいため、他の研究者に後れを取らないよう、つばを付けておく考え方だ。

科学自身が大きく複雑に 集団で研究主流

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 そうならざるを得ない事情も確かにある。まず、科学自身が大きく複雑になり、一人の研究者では深い議論をしにくい。科学者が集団として研究を進める形が多くの分野で主流になっている。数学の世界でもそうだ。重要な数学の問題について、一人の数学者がまず、解明に向けた有望なストーリーを提唱する。「こういった定理を、こういった順番で証明していけば解明できるはずだ」と。すると、多くの数学者が個々の定理をバラバラに証明していく。互いの証明の間には食い違い、いわゆる「ギャップ」が残るため、最後に一人の研究者が全体を見通しながらギャップを埋めていく。そういったことが実際に起きてきた。

 インターネットの普及も大きな影響を与えている。論文を発表して2、3日で、世界中の競争相手が中身を知ってしまう時代になった。情報の流れが緩やかだったころには、国や大学によって研究の方法や内容が異なり、「学派」や「流派」が生まれていた。そういったものは現在、科学の世界からほとんど消滅してしまった。

ネット普及で情報の流れ速く過当競争の面も

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 研究者人口が増え、過当競争に陥っている面もある。日本の大学では1990年代以降、研究の中心を学部から大学院に移す大学院重点化が行われた。大学院生の定員が大幅に増え、博士号を持つ人が急増した。研究者は、論文の質と量で評価される。根源的なことにこだわり続け、論文が書けなければ、研究者として生き残れなくなってしまう。

 競争の激しい研究分野では、こういった流れは止まらないかもしれない。その一方、なぜだろうと思ったことに長くこだわり、静かに研究できる分野が残ってもいいはずだ。

<日本の暦>

処暑 (8月23日ごろ)

 処暑とは暑さがやむという意味で、この日だけをいう場合と、次の二十四節気「白露」までの期間をいう場合があります。朝夕はめっきり涼しくなる時候ですが、日中はまだまだ残暑厳しく「暑さがまだとどまっている候」と解釈する人も多いとか。二百十日も間近で、台風襲来にも要注意の節気です。七十二候では「綿の柎(はなしべ)ひらく」。綿の花を包む萼(がく)が開く日とされ、次の季節への期待に膨らむ頃でもあります。

<リレーメッセージ>

イラストレーター 絵本作家 永田 萠さん

■正しく叱る

 最近の日本のおとなは「正しく叱る」ということをしなくなった。私の子供の頃は、家族以外の見知らぬおとなにたびたび叱られたものだ。

 「そんなことしたらあかん」とか、「いつでもお天道さんが見たはるで」と言われて、恥ずかしい思いや情けない思いをして社会のルールを学んだ。当時の人たちは、そうすることがおとなの役割だと知っていた。

 だが正しく叱るには良識と信念と勇気が必要だ。当然エネルギーも。今のような時代で疲れ切っているおとなの私たちは、無意識に叱ることから逃げているのかもしれない。

 と反省を込めて考えていたのだが、最近立て続けに希望の持てる状況に出会った。京都ではまだ「叱るおとな」は健在だった。最初は地下鉄の中で傘を引っ張り合って遊ぶ小学生。次は狭い歩道を自転車を並べて走る大学生。極め付きは阪急電車の中で完全メークをする若い娘。それぞれに彼らを正しく叱る人がいて、見ていて胸のすく思いがした。男女三人のおとなは皆、厳しい表情がりりしく美しかった。そんな顔も久しく日本のおとなが忘れていたものかもしれない。


(次回のメッセージは、ジャーナリストの木下明美さんです)

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