バックナンバー > 第7回 熟成された文化
- 第7回8月14日掲載
- 熟成された文化
胸中に寝かせ実り待つ日本画
伝統は美しく守られ発展した
日本画家
上村 淳之 さん
1933年、京都市生まれ。上村松園、松篁、淳之と三代続く日本画家。京都市立美術大(現京都市立芸術大)卒。花鳥画で知られ、日本芸術院賞、京都府文化功労賞などを受賞。芸術院会員。京都市芸大名誉教授。奈良市在住。
奈良時代、大陸との交流が盛んになり、多くの文化が伝えられ、農耕民族の共通して持つ自然との共生感から生まれた文化は、スムーズに我が国にも定着していった。当時すでに欧州の文化が中国文化に影響していたのは、キトラ古墳の四神の表現にも見られる。渡来人の仕事は明らかにギリシャ神話にヒントを得たと思われる表現である。
自然の偉大さに
謙譲な姿勢を示す京の美意識
中国伍代・宋に展開した花鳥画の世界も、我が国に伝えられ、正しく、普遍の美を備えて発展してきたが、中国は明、清代には、その本質を失い、生態画になっていって花鳥画の求めた象徴表現が、現実表現に陥って救いがたい。
奈良朝から京都に遷都(せんと)され、公家の世界に育まれた「雅(みやび)」の文化が、巧みにしかも自然体の中に付加されて、京の美意識は日本文化の根幹となったと思うが、その美意識は、一木一草(いちぼくいっそう)に神仏が宿り、自然の偉大さに畏敬(いけい)の念をいだき謙譲な姿勢が求められていったと思われる。つつましやかさは自己表現に一種の制御を求めてきたのではなかろうか。
絵画は積み重ねた自然観察の中で、胸中に熟成された美の世界の具現化である。
草稿は写生に頼らず、自在に創りあげる
大学に入学して二カ月、写生がもっぱらの一回生であった時、主任の榊原紫峰先生に大そう、おほめを頂いた。そして二回目に廻(まわ)って来られ、すぐに絵にしてはならない。少なくとも三カ月、出来れば、一年は寝かしておくようにと言われた言葉が理解できずに数年が過ぎたが、今もってその教えは私の中に厳然としてある。胸中に充分熟成させ、一気に描く水墨の世界、日本画の制作過程の中では、やり直しはできない。草稿を練り直し本紙に移る手法は胸中における熟成の時間であろうか。そして写生を大切にしながら、草稿は写生に頼らず、自在に創りあげるという基本の考え方の中に、文化の熟成の一つの方法を見いだし得ると思う。
深く、広い試行錯誤の中で、洗練されてゆく日本文化はそうして生まれ、従って伝統は美しく力強く守られ、発展してきた。
もう一度かみしめたい「不易流行」
伝統破棄などできるはずはなく、陋習(ろうしゅう)との混同が生み出した錯覚であろう。
芸術は強烈な自己主張の上に接する人に刺戟(しげき)を与え、覚醒(かくせい)力となって活力を促す事になるのであろうが、覚醒された世界は人間の死に様を示唆するものでなけらばなるまい。
一時の快楽を求め、苦の逃げ道となっては実りのないものとなるであろう。
不易流行(ふえきりゅうこう)なる言葉をもう一度かみしめ、決してスピーディには発展し得ない文化をこの地で、じっくり育てたいものである。
名品が時空を超えて存在する理由は、目新しさではなく、余人の識(し)り得なかった境地を表してのものであり、熟成されたものは普遍の美を備えているはずである。
敗戦という日本人が初めて味わった劣等感は、日本人のプライドの喪失を招いてきたが、文化に敗戦はなく、独自性の確立がステイタスであろう。ただし、文化は異文化の刺戟なくしては健全な育成は望めない。東京に遷都(せんと)され、京都がさらなる活性、発展に力を注いだあのプライドをもう一度取り戻したいと思う。
<日本の暦>
蜩鳴く (8月13日~17日ごろ)
夏の早朝や夕方ごろ、カナカナカナカナ…と涼やかな声(羽音)で鳴く蝉(せみ)が蜩(ひぐらし)。ジージーと暑さをかき立てるような油蝉や、耳にうるさいミンミン蝉と違い、どこかもの寂しい鳴き声がいっそう秋の訪れを感じさせてくれます。「秋告げ蝉」の異名がありますが、実際には蜩は夏の初めから鳴いていて、8月中旬から鳴き出すのはツクツクボウシなのだそうです。しかし蜩の鳴く、早朝や夕暮れどきの涼しさともあいまって、先人たちは蜩の声に秋を感じたのに違いありません。
<リレーメッセージ>
■始末
「始末のできんことはするな」と過日夫に怒鳴られ、ムッとなって口答えをしました。
私は自分のことを「始末な方だ」と思っていたからです。
姑(はは)からよく「あの嫁(こ)、ケチですわ。始末な嫁や」と言われていました。
夫の捨てぜりふは、「消せん電気はつけるな」でした。
少し落ち着いてから、納得です。ちょうど今、人形教室展の追い込み中で、テーマが「江戸時代に学ぶエコ生活」(平成23年9月16~19日、京都文化博物館で開催予定)だったからです。
江戸時代の人は、始末の名人でした。抜け毛さえ買い歩き、カツラ屋などに卸す「おちゃない」という職種までありました。
まさに「モノの価値や品位を活(い)かしきろうとする」ココロ、「もったいない」の世界でした。
いつごろから、始末がケチと同義になり「もったいない」と言わなくなったのでしょうか。
改めて私は、文字通りの「始末のよい人になりたい」と願ったのですが、いつまで続くかな。
思えば、このたびの原発問題は始末のまずさの典型ですね。
(次回のメッセージは、イラストレーター・絵本作家の永田萠さんです)