日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第5回7月31日掲載
和歌・型の美
梅に鴬、紅葉に鹿、と詠む文化
同じ座で、季節、気分を共有…

れいぜん・きみこ

冷泉家時雨亭文庫常務理事
冷泉 貴実子 さん

藤原俊成・定家父子を祖とする冷泉家の24代為任氏の長女として生まれる。25代為人氏夫人。冷泉家時雨亭文庫常務理事。同事務局長。冷泉流歌道を指導、各地で和歌に関する講演を行っている。

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 現代短歌は京都新聞紙上を初めとして、大変盛んだ。歌人と呼ばれる人は、有名無名を問わず枚挙にいとまがない。皇室から庶民に至るまで、あらゆる人の表現手段となっている。芸術の中の文学の一分野として確固たる位置を占めている。

明治以前は「芸」「技」
受け継がれた
「型の美」のみあった

 芸術は、明治になって文明開化と共に日本に広がった考え方で、自我を表現するものである。あなたと私は異なる。異なることを表現する。異なる表現がおもしろい。少しでも異なる何かを見出そうとしている。「ちがわなくっちゃ」である。陳腐ということは最悪の評価だ。

 では、明治までのこの国にあったものは何か。あったのは芸、技で、そこには自我を表現する意図はなかった。代々受け継がれた型の美のみが存在した。型というのは、結局洗練された美のことである。

 平安より江戸の末まで、わが国の文芸の中心に位置したのは和歌である。宮廷では様々な和歌会が開かれた。天皇出御の前で行われた最高の和歌会は、神を祭り、神と共にいることを喜ぶものであった。一種の神遊びである。そこにはまず、和歌会の目的があった。

和歌の目的に従った美辞麗句がある

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 例えば新年の歌会始ならば、新年を寿(ことほ)ぐことが第一の理由であり、新年がめでたくない人は、参加の権利がない。現代の短歌会なら、新年が来ても私は悲しいと詠むのも、いや私はそもそも年始なんか関係ないと言うのも自由である。

 反対に誰かを偲(しの)ぶ和歌会なら思い出すさえ涙がこぼるるとなる。やっと病人から解放されて自由がうれしいとはならない。

 和歌の目的に従った一種の美辞麗句があるといえばいいのだろうか。

 春を告げるのは、いつも梅に鶯(うぐいす)。もちろんその源は中国にあるのだが、古今集の時代にそれは確立した。雪が残る枝より、かすかに梅の香が漂い、鶯の初音が聞こえる。

 では実際に梅に鶯が鳴いているのを見聞きしたことがあるかというと、現代ではもちろんほとんど見たことがないが、多分、平安時代でも、それを実見することは難しかったはずである。

 経験を問うているのではない。梅に鶯という型があるのである。秋は紅葉に鹿。紅葉を踏み分けて鳴く鹿なんて、誰も見たことも聞いたこともないけれど、昔から秋は紅葉に鹿と決まっている。

和と呼ばれる文化に絶大な影響を与えた

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 それを元に美しいことばが伝えられて来た。「匂(にお)う梅が香」「梅が香霞む」「春告げて鳴く」「千代の初音」等々。

 これが和と呼ばれる文化に絶大な影響を与えた。能楽、長唄、絵画、工芸、茶道、香道。およそ和の文化というものの基礎をなしている。

 例えば茶会を考えてみよう。初釜は春を寿ぐ会である。待合には春一番に芽を吹く柳が活けられている。本席は梅。茶杓の銘は初音。茶碗は早蕨と並ぶ。もし庭に美しい菊が残っているからと言って菊を床に入れたら、これは同じ春を喜ぶ型の文化に違反する。

 同じ座で同じ季節を、同じ気分で共有するのが和の文化だと思う。もちろん異なると言っていじめるのは論外だが。

 それを売っているのが京都だ。

<日本の暦>

土潤(うるお)って蒸し暑し (7月28日ごろ)

 大暑が過ぎても、まだまだ猛暑が続く候。激しい夕立にひととき和らいだ暑さも、地面を濡らした雨が湯気のようなになり、かえって蒸し暑さを感じる…という気分を言い得た七十二候の暦です。

 通り雨のせいで蒸し暑くなった後、今度は蝉(せみ)時雨となると、不快指数も一気に上がってきます。

 こんな時候にエアコンも扇風機もなかった先人たちは、庭に水を撒き、井戸水で葦簀(よしず)を濡らし、軒先には風鈴を吊して涼を取り入れる工夫をしました。見習いたい智恵です。

<リレーメッセージ>

京南倉庫株式会社 代表取締役 上村多恵子さん

■京都の美しい風景について

 歴史に裏打ちされた京都の美しい風景を、大切に未来に残したい。

 風景は、見る人の心がゆったりしている時、急ぐ時、荒立たしい時、悲しい時では変化し移ろう。又、景色も陽光の中に影がさし水に染み色をかえ、雪をかぶり苔(こけ)を帯び、風にゆられ四季の表情が変わる。そして人が心にそれらを留め、感じたいと思わなければ残らないものなのだ。求めていけば急に風景が饒舌(じょうぜつ)に話しかけて景色が動き、風景との一体感がもたらされる瞬間がある。

 京都に住む私には、それは例えば近くの散歩道としての岡崎疏水べり、賀茂川沿い、哲学の道であり、愛宕街道である。又町家の並ぶ露地でもある。名園や庭園、神社仏閣だけでなく何気ない日々の生活の中の京都の風景に感謝する。

 ただこの感慨がうすれるのは電線・電柱の存在。ゴミの山。色の合わないカラー舗装やガードレール。歩道橋。派手な広告看板。放置バイクや自転車等は残念で痛ましい。

 人はなぜ美しい風景に魅せられるのか。それは自分自身の心の投影。だから故に自分も人も愛し、京都の風景をやさしく愛してゆきたい。


(次回のメッセージは遊墨漫画家の南久美子さんです)

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