日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第3回7月17日掲載
自然を実感する
自然を体に取り込んで舞う 「万物に命…」こそ心の原点

いのうえ・やちよ

京舞井上流五世家元
井上 八千代 さん

観世流能楽師片山幽雪(九世片山九郎右衛門)の長女として生まれる。祖母井上愛子(四世井上八千代)に師事。1999年芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞受賞。翌年五世井上八千代を襲名。

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 昨年くらいからよく散歩するようになりました。私のところから5分くらい歩くと、知恩院とか円山公園に至り、山々に沿って東山の町並みが広がっている。四季折々、ただ歩いているだけで花々が目にとまり、草のにおいがしてくる。京都は暮らしのすぐそばに自然がある幸せなところだと思います。

巨大な力持つ自然
生かされている私たちを痛感した

 自然を実感することは自分の舞を深めることにつながるのではないか。風のそよぎとか冷たさとか、陽のぬくもりとかを自分の肌で感じることが大切なのではないか。そんなことを散歩を始めて思うようになりました。

 でも自然といっても人間に優しいだけのものではありません。東日本大震災では、人々が営々として築き上げてきたものを一瞬にして奪ってしまった。家族も友人も飲み込んでしまった。人間の意思ではどうにもならない力を自然は持っている。私たちは大きな大きな波の中で生かされているにすぎない存在であることを思い知らされました。そして命の大切さを改めて考えるようになりました。

 なら自分はどうすべきなのか。舞によって人々の飢えを満たすことはできませんが、引き継いだ芸に一生懸命打ち込むしかないのではないか。ひとつひとつの舞をさらに大切にし、曲目をいとおしむように自然体で舞う。そのためには草木や花、風、水の流れや音を自分の体の中に取り込む作業を営々と続けなければならない。それはつまり万物に命が宿ることを知る。日本人の心の原点ではないかと思っています。

人と人との触れ合いを大切に互いに高め合う

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 取り巻く自然と共生するとともに、人間を知ることも重要なことです。そのために人と人のふれあいを大切にしていく。ふれあって相手を知ることで互いに高めあうことができると思えるからです。私自身のことで言えばそれが舞を嘘事でないものに、お客様の共感を得る舞台づくりにつながると思うようになりました。

 そしてふれあうには「感謝の心」を忘れないことです。被災された方が、一日一個のおにぎりでしのがなければならない状況なのに、不満ではなく「ありがたいです」とおしゃっていた。そういう感謝の言葉が出るのは、きっと日本人本来の強さであり、優しさであるのでしょう。

感謝の心があれば思いやる心が芽生える

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 感謝の心があれば思いやる心が芽生え、人々とのふれあいも広がり、深まっていくのだと思います。私は一生懸命になると自分の仕事しか目がいかなくなる方ですが、お弟子さんにしろ、周囲の人にしろ、それなりに思いやる心を持って接しないといけないとこの頃自分に言い聞かせています。子供たちに対しても、挨拶(あいさつ)は勿論(もちろん)、感謝する心の意味をきちんと教えていかなければなりません。

 被災された方は大変でしょうが、どう立ち直っていかれるのか。人ごとのように言っては本当にいけないのですが、人間の可能性をみせていただければと思います。モノはなくなってもいつか先にはよみがえる。草木は春になると芽吹き花が咲く。こんな悪いことがあった時だからこそあえて思うのです。

<日本の暦>

鷹乃(たかすなわ)ち学(わざ)を習(なら)う (7月18~22日ごろ)

 七十二候の第三十三候。タカの幼鳥が、親鳥から飛び方を教えられ、大空に舞い上がるころにあたります。

 産卵は5月から6月ですが、タカは成長スピードが早く、孵(ふ)化してひと月もたてば親鳥と同じくらいの体格になります。

 野鳥の子どもが置かれる環境は厳しく、「生きる技術」を習得しないことには、自立も自活もできません。習う子どもも教える親鳥も真剣です。

 成鳥になれば、最高時速80キロで大空を飛び回り、生きるための糧を勝ち取ります。

<リレーメッセージ>

和紙デザイナー 堀木エリ子さん

■伝統と革新のまち京都

 「そんなもの和紙と呼ばんといて」

 私が新しい手法で作品を作り始めた頃に和紙職人さんから投げかけられた言葉です。独自で開発した立体的に和紙を漉(す)く手法や16メートルもの巨大な1枚の和紙を漉く手法について、当初、職人さんからは「昔からの和紙とは違う。それは伝統とは違う」と指摘されました。私はその言葉をきっかけに、伝統とは何かと思い悩みました。

 考えてみれば、1500年前に和紙を漉く手法が産み出されたときには、その技術は革新だったはず。その革新的な技術が長い年月、人の役に立ち、親しまれて、現代では伝統と呼ばれているのです。

 そうであるならば、伝統と革新は対極にあるものではなく、革新が長年育まれた結果が伝統であるはず。今、新しい技術で作ったものが和紙と呼ばれるかどうかが問題なのではなく、新しく開発した技術を百年後も人の役に立つように進化させていくことが大切なのだと考えました。

 伝統と革新が混在する京都で、ものづくりに関わり、新たな挑戦を続ける姿勢を大切にして、伝統を未来に拡げていきたいと思っています。


(次回のメッセージは日本舞踊家の西川千麗さんです)

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