日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第1回7月3日掲載
京都の保水力
文化を育んだ「しなやかさ」は京都が残す日本の美質なのだ

なかにし・すすむ

池坊短期大学学長
中西 進 さん

1929年、東京都生まれ。国文学者。大阪女子大学長、京都市立芸大学長などを歴任。2004年、文化功労者。現在、奈良県立万葉文化館館長なども務める。主な著書に「万葉集全訳注」「日本人の忘れもの」など。

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 京都は、地下にたっぷりと水を湛(たたえ)えている。そう教えてくれたのは尾池和夫さんだったと思うが、わたしがなるほどと実感するのは、大山崎あたりを電車で通るときだ。

京都が植物ならば
地下の保水力はなみなみではない

 あれほど狭い山合(あ)いに水流が集められれば、上流の盆地は目に見えない水量を豊かに湛えることになるだろう。まるで「地下湖」を抱えているように。
 京都をめぐる山やまから滲(にじ)み出た水が流れる、その程よい傾斜が、平安朝に寝殿造りという優雅な高級邸宅を生んだと、最近書いたこともある(ウェッジ三月号)。

 その上に「北山しぐれ」もある。京都がもし植物なら、京都を生きいきと生育させる地下の保水力は、並なみではあるまい。  

 京都はよく、「山紫水明」をもってたたえられるが、ここにも指摘されている山と水との合力が京都の特徴であろう。

 もちろん、大地の保水力は住民の心の保水力となる。京都がはぐくんできた文化が、この人間の心の保水力によるものだったことも、よく合点されるではないか。

京ことばのやさしさ、情調、心性のゆかしさ…

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 たとえば、京ことばのやさしさ。潤いにみちた情調。心性のゆかしさ。身のこなしのしなやかさ。わたしは、これらを人間の保水力と呼びたい。

 ところがどうだろう。最近の京都は、これらをどんどん忘れて、どこにでもある日本の都市とさほど変わらない方向へと歩いているのではないか。猫にまで敬語を使い、「…し」という言いさしの語調を残す京ことばは、だんだん少なくなってきた。

 いやいや、保水力のある京ことばは、反って慇懃(いんぎん)無礼の代名詞のように揶揄(やゆ)されることさえある。もはやこれは、ことばの問題ではなくて、人格が疑問視されているのだと思わなければなるまい。「ぶぶでも上がっておいき」というのは、本来思い遣りのやさしさだったのである。「しなやかさ」とはもっとも力ある仕草(しぐさ)だったはずだ。

 しかしまだ、京都らしさは死んでいない。その証拠は、しっかりと伝統的な町並みや家屋の構造を守ろうとしている点に見られる。

 たとえば、犬防ぎ(犬除け)。コンクリートで塀際を固めているのだからもう必要ないのに、景観の美しさとして、京の町はこれにこだわる。

 ふと見上げた二階には、だれの目もなごませる虫籠窓がある。あるいは通りに向けてずらりと並べた虫籠格子もまだまだ健在である。

守り続ける町並み まだ京都らしさは死んでいない

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 そこから、ぼんやり中の灯(あか)りがもれてくると、いったいどんな「虫」がこの中で大切にされているのだろうと思う。

 わたしは「国家を築いたしなやかな日本知」(ウェッジ、二〇〇六)という本を書いたことがある。「しなやかさ」とは京都の美質でありながら、じつは日本そのものの美質である。とうぜんだろう。京都は長く伝統日本の中心にあったのだから。

 そこで京都まで「しなやかさ」を失うと、日本全体が「しなやかさ」を忘れることになる。京都の忘れものは日本の忘れものだということこそ、もっとも重大な忘れものなのである。

<日本の暦>

小暑 (新暦7月7日ごろ)

 春夏秋冬それぞれに六つの節気を配して気候の推移を示した「二十四節気」は、古代中国で定められた太陰暦の基準点。四季のあいだにもう一つ四季があるといわれる京都は、季節の移ろうさまも美しく、二十四節気の言い得て妙な言葉からも、いっそうめぐる季節を実感できます。ことしは7月7日が「小暑」。夏の始まりを告げる日で、梅雨明けも近く、大雨への注意も促してくれます。小暑が過ぎればいよいよ夏本番。暑中見舞いを出し始めるのもこのころからで、祇園祭の熱気も高揚してきます。

<リレーメッセージ>

服飾評論家・エッセイスト 市田ひろみさん

■おおきに

 「出しゃばったらあかん」「えばったらあかん(いばったらあかん)」

 「恩、忘れたらあかん」「弱いもんいじめたらあかん」

 「聞いてへんラジオ消しときや」「返事は聞こえるようにせなあかん」

 明治の親達は、たえずこんなことを言っていた。子どもは、またおなじことを言うてると、かるく、いなしている。しかし、そんな親のショートフレーズは、子供の血肉の中に、しっかりしのびこんでいるのだ。

 今、思えば親のさりげないメッセージは、エコにもかなっているし、子供の精神的成長にもかなっている。私は、明治の親に育てられたことを感謝している。感謝こそ時代の大きな忘れものだ。

 京都には「おおきに」という美しくやさしい言葉がある。物があふれている時代も実は「おおきに」の心でつながっていることを、子供達におしえてあげたいものだ。


 (次回のメッセージは放送作家の丘 眞奈美さんです)

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