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- 第47回5月27日掲載
- おもいやり・いたわりの心
悲惨な「方丈記」の世界の中に
豊かな人間性は満ちていた…
下鴨神社宮司
新木 直人 さん
1937年、京都市生まれ。全国一の宮会長、全国賀茂社連合理事長。63年、賀茂御祖神社奉仕。2002年から現職。京都市伝統行事伝承者、同伝統芸能功労者。社叢学会顧問なども務める。「世界文化遺産下鴨神社と糺の森」「神游の庭」など著書多数。
字を書き始めた孫が日記につづる
世相の裏表
このところ、娘夫婦がうかぬ顔をしており、問うてみると、幼稚園の年長組さんになった孫の葵ちゃんは、字が書けるようになり、日記を書きはじめたという。それは、それで嬉(うれ)しいが、それがまた問題であり、悩みの種とのこと。 というのも、マンションでの出来ごと、友だちのこと、夫婦のことなど、つねづね気づきながら、何げなく過ごしたり、見過ごしてきたりしたことを指摘されて戸惑っている、という。
例えば、隣のおばちゃんの会話「夕べのコロッケは、コンビニでこうたんや。けど、わてがこしらえたと言うて、じいさんにくわせたんや」とか。管理人さんのヒゲに「ご飯つぶ」がついていて「おはようさん。行っといで」と、おじいちゃんがしゃべるたびに「ご飯つぶ」もぴくぴくしていた、とか。
五階のおねいちゃんがエレベーターの前でスカートをまくりあげ、ストッキングをなおしていた、などなどさまざま書かれ、夫婦のことは、もっと辛辣(しんらつ)なことや、このように親のことを思っていてくれたのかと、嬉しいやら悲しいやらで、このところ、書かれまいとして逃げまわっている、というのである。
うち続いた大地震、大火、竜巻、大飢饉…
先日、幼稚園の春休みに里帰りしていたときのこと。近くの糺の森に遊びに出かけたかと思ったら、すぐに友だちをつくって家に連れて帰り、ひとしきりはしゃぎまわり、いつの間にか、また糺の森へクズかごとハサミを持って遊びに出かけた。
いったい何事かと思ったら、色紙で葉っぱや子鳥を切りぬいて写生に貼りつけるという。紙を切るのでクズかごがいるというのであった。その日の日記には、楽しかったし、いっぱい汗もかいた、と書いていたそうである。
それを聴いて思い起こしたのは今年は、鴨長明が「ゆく河の流れは絶えずして」と書きはじめた『方丈記』を完成させて800年。特に、3・11の大災害の後だけに元暦の大地震(1185年)の記述が注目を集めているときであり、なかでも安元2(1177)年の京洛の大火や、治承4(1180)年の竜巻、福原遷都(1180年)。そうして、天候異変の年が続き養和2(1182)年のころの大飢饉(だいききん)。
平家が滅亡し、東国に幕府が樹立して政権が交代するという、現代にも似た時代の大きなうねりのなかにあって、人々の生活は混乱し、生きることにさえ迷ったのではないか、という時代を思うからであった。
自分のことは後まわしにし相手を気づかって
長明は『方丈記』の飢餓を描写したくだりに、「いとあはれなる事」と述べ、思いやり、いたわりあう夫婦は、その思いが飢餓状態のなかでもさらに深まり、どちらかが先だってしまう。というのは、自分のことは後まわしにして、相手を思い、ようやく手に入れたわずかばかりの食べ物を譲ってしまう。親子にあっては、なおさらのこと。親が先だつことが多い。母の命が尽きたのを知らないで、いたいけな赤ん坊が乳房を吸っているのを見たことがある、と記している。そのような有様なのに、豊かな人間性に満ちた時代背景を知ることができる。
<日本の暦>
薄暑(はくしょ)
猛暑や酷暑はよく聞きますが「薄暑」はどうでしょう。
「うっすら汗ばむほどの暑さ」を言います。梅雨に入っていく直前、5月下旬ごろの気候をうまく言い表しています。季語として大正時代に定着しました。
「はんけちのたしなみきよき薄暑かな」(久保田万太郎)
じんわりと熱を感じる日射しに、真っ白いハンカチを取り出して首筋を、そっとぬぐう女性-。そんな眩しい光景が頭に浮かびます。
ちなみに、旧暦の二十四節気では小暑、大暑、処暑と三つの「暑」があり、暑さがピークに達する大暑はことしは7月22日です。
<リレーメッセージ>
■お稽古ごとのすすめ
私の学生時代は授業を終え、生徒会活動やクラブ活動を済ませると、お稽古ごと三昧(ざんまい)の日々であった。日本舞踊・バレエ・ピアノ・声楽・三味線・茶道など。
私はお稽古ごとの一つであった日本舞踊を止めることなくいまだに続けている。そして、平成23年度文化庁芸術祭優秀賞をおかげさまでいただくことができた。ようやく舞踊家になったと言えるのではないかと思う。
私が属するこのお稽古ごとの世界が、今やとても必要になっているように思う。学校や塾という勉強一辺倒の世界の他に、自分の好きな世界があるということは、ストレスの発散にもなるし、気分転換にもなる。そして、家庭や学校では交わることのない年齢や環境の人とお付き合いすることによって、多様な人間を知ることができる。
親や先生から注意を受けるとむかつくことも、芸の上でのおっしょ(師匠)さんからの忠告なら素直に受け入れられる。一生精進しなければならない世界で、非効率的なことの大切さを学ぶ。
「受験には全く益がない、就職には役立たない」と切り捨てて来たお稽古ごとの世界に、日本人の忘れものが一杯詰まっているような気がする。
(次回のリレーメッセージは、京都橘大名誉教授の田端泰子さんです)