バックナンバー > 第46回 持続の力
- 第46回5月20日掲載
- 持続の力
めまぐるしい時の変化に左右されず
昔ながらに地に足をつけて力蓄え
中国文学者
井波 律子 さん
富山県生まれ。8歳から京都で育つ。京都大大学院修了。専門は中国文学。国際日本文化研究センター教授をへて、2009年より同名誉教授。著書に「中国名言集」「中国名詩集」「論語入門」など。
近頃、短期間に成果をあげることが求められるためか、世のなか全体が焦って前のめりになり、浮き足だっているような感がある。
頭に血が上り焦りに焦っても
ろくなことはない
こうした風潮を目の当たりにするとき、いつも思いうかべるエピソードがある。今を去ること千数百年、魏晋(ぎしん)の著名人の逸話集『世説新語(せせつしんご)』に見える王述(おうじゅつ)という人物の話である。王述は政治手腕のある有能な人物だが、極端なせっかちであった。ある時、ゆで卵を食べようとして箸で突き刺したが、うまくゆかず、激怒して卵を床に放りなげた。すると卵は床をコロコロ転がって止まらない。ますます腹を立てて下駄(げた)で踏んづけようとしたが、またうまくゆかない。そこで床から拾い上げ口に入れて噛(か)み砕くと、腹立ちまぎれにすぐ吐きだし、せっかくのゆで卵を無駄にしてしまったというものだ。まったく頭に血が上り、焦りに焦ってもろくなことはない。
エネルギー蓄え2年かかってみごとに開花
それはさておき、先月末、わが家では三鉢の牡丹(ぼたん)が絢爛(けんらん)と花開いた。このうちピンクの牡丹は購入した一昨年春には、大輪の花をたくさん咲かせたが、花が終わるとすっかり衰えた。徐々に勢いを回復し、昨年春には元気に葉を茂らせたけれども、ついに花は咲かなかった。かくしてまた一年、今年は目を見張るような大きな花芽をいくつもつけ、すべてみごとに開花して、他の牡丹よりずっと長く咲きつづけた。けっきょく、このピンク牡丹は二年かかってエネルギーを蓄え、開花したのである。驚嘆すべき持続力というほかない。
ちなみに、このピンク牡丹のみならず、準備期間をへて地道に力を蓄え、隔年もしくは二、三年ごとに開花する植物も少なくない。けなげな努力をつづける植物を眺めていると、性急に開花という結果を求めてはならないと、つくづく実感される。
おりにつけ数センチずつ編んだストール
持続力といえば、三年前、九十五歳で他界した私の母は編み物が好きで、暇さえあれば、ストール、マフラー、ベストなどを編んでいた。その母の最後の大作は、複雑な編み方をした大きなストールであり、おりにつけ数センチずつ編みつづけ、数年がかりで完成にこぎつけた。私は今でも真冬、ちょっとそこまでなら、母の持続力の結晶ともいうべき、このストールにすっぽりくるまって出かけることが多いのだが、実に暖かく快適である。
「愚公(ぐこう) 山を移す」(『列子(れつし)』湯問(とうもん)篇)という成句がある。北山(ほくざん)愚公なる老翁が息子や孫とともに、家の前に立ちはだかる二つの高山を切り崩そうと、倦まずたゆまず作業しつづけたという話にもとづくものだ。私自身はといえば、昔は何でも早く完成させたいと、やっきになりがちだった。しかし、大作の翻訳などはどんなに焦っても一朝一夕に仕上げることはできず、最近は母の編み物がその典型であるように、「愚公 山を移す」の積み重ねしかないと思い、持続を旨とするようになった。そんなこともあって、めまぐるしい時の変化に左右されず、昔ながらの地に足のついた持続力を保ちたいと思うことしきりである。
<日本の暦>
三船祭
平安貴族を代表する教養人、藤原公任(きんとう)のエピソードに「三船の才」があります。藤原道長が嵐山の大堰川(おおいがわ)で船遊びを行った折のこと。
漢詩、和歌、管弦と三種ある船の「どれに乗るか」と問われ、公任は和歌の船を選び一首を詠みます。
「小倉山 嵐の風の寒ければ もみぢの錦着ぬ人ぞなき」
見事な歌を称賛する人々に、公任は「漢詩の船にすればよかった。名声はもっと上がったろうに」と漏らしたといいます(大鏡)。
王朝の船遊びを現代に再現したのが「嵐山・三船祭」。車折神社例祭の延長行事で、例年5月第3日曜に渡月橋上流の大堰川で開かれます。船上の舞楽や雅楽演奏、扇流しなどはまさに平安絵巻そのものです。
<リレーメッセージ>
■和の美意識
情報が簡単に手に入り私たちの生活や環境がどんどんと変わりゆく中、海外から来られた人々の言葉に、忘れかけていた日本の美に立ち返らせられます。
ある建築家は楽しそうに、「日本建築は細部まで行き届き心かよわせ合う温かさがあり、自然に気持ちが和んでいく」と。ある青年は「アメリカのビル暮らしの中で出合った日本庭園は僕に微(ほほ)笑みかけてくれ、優しく安らいだ気持ちになった。この体験が僕に京都への思いを募らせた」と。また日本の物作りを高く評価された経済学者は「一方的に他を圧倒するのではなく、心地よさが層を成し現れ、奥へ奥へと誘われた滞在時間は他の国では出来ない経験」と、印象深く語られました。
姿かたちの違うものを絶妙なバランスで取り合わせて空間を作り出す日本人の美意識は、自然を愛しみ相手を活(い)かす心で長い時間をかけ育まれて来たものです。短い時間で多量な物が手に入る昨今、世界の人々を惹(ひ)き付ける和みの空間は少しずつ姿を消し、京都の町は不協和音を奏でつつあります。「京都の人々の、人となりが美しかった」と言われた言葉が、私だけではなく京都に住む人皆の心に届きますように…。
(次回のリレーメッセージは、日本舞踊家の西川充さんです)