バックナンバー > 第45回 錦織を支える職人達
- 第45回5月13日掲載
- 錦織を支える職人達
金に値する華麗・多彩な「帛」
支える職人達の灯を絶やすな
織物美術家
龍村 光峯 さん
1946年兵庫県生まれ。早稲田大文学部卒。76年、龍村平蔵織物美術研究所(龍村光峯に社名変更)設立。日本伝統織物研究所代表理事。正倉院裂「緑地花鳥獣文錦」ほかの古代裂の復元、錦の伝統織物、緞帳などを製作。伝統技術の継承と保存、職人育成などに幅広く力を尽くす。
平成二十一年「錦(にしき)-光を織る」という錦の織物をテーマとした拙著を出版させて頂(いただ)いた。
欧米で評価され
現代日本では忘れられて
この本を書いた動機の一つは、故郷に錦を飾るなどの慣用句や天皇の旗を意味する錦の御旗、あるいは多彩ということから錦絵、錦鯉(ごい)等、古来美しいものの代名詞として人々に親しまれてきた「錦」が、欧米の専門家には世界で最も美しい織物として高く評価されているにもかかわらず、現代の日本ではほとんど忘れ去られているのでは? という強い危機感があるからである。
今日では、京都の人々でさえ、「錦」といえば錦市場を思い浮かべてしまうのではないだろうか。錦とは、文字通り金に値する帛(きぬ)という意味で、多彩で華麗な最高の織物のことを謂(い)う。専門的には、概ね絹糸を染め、紋を作り、手機あるいは力織機で織られている先染紋織物(さきぞめもんおりもの)のことである。
織師に欠かせない「杼」の制作者もただ一人に
京都の西陣では、主にこの先染紋織物を生産している。唯(ただ)、この仕事は、人の違う工程が七十数工程に及ぶ高度に専門分業化された共同製作の世界である。この各工程を担う職人達(たち)の工房は、家業的な規模の小企業が大半を占める。
今、日本の伝統的な帯や打掛、能装束や有職(ゆうそく)織物などの高級織物を下支えしてきたこれらの職人達が、あまり世間の話題に上ることもなく、ろうそくの火が消えるように消え去りつつある。すでにいくつかの分野で職人が「最後の一人」になってしまった。この危機的な状況については、京都新聞のソフィアの欄をはじめ、折にふれ訴えてきているのだが、実状は益々(ますます)厳しくなる一方である。
一例だけを挙げると「杼(ひ)」(英語でシャトル)という、織師にとってはなくてはならぬ道具があるが、この制作者も、ただ一人になってしまった。杼は織師にとっては料理人の庖丁(ほうちょう)のようなもので、私の工房の織師がテレビの取材で「貴方(あなた)にとって杼とは何か」という質問に対し、「分身のようなもの」と答えている。それ程(ほど)大切な道具なのである。伝統的な手織の先染紋織物、即(すなわ)ち錦織の世界にとって由々しき事態である。
錦織の工房を公開 危機的状況を世間に訴え
私達はこの事態を憂う有志達と共に、平成六年に錦の伝承技術の保存と育成を目的として「日本伝統織物保存研究会」を結成し、文化庁や博物館などの専門家の協力を得て、「古代織物の復元」という形で、仕事が無(な)く生活が出来(でき)ない各工程の職人達に仕事を創出し、それをビデオや聞き取り調査などで記録するという「伝統的先染紋織物の綜合(そうごう)的復元事業」を実施してきた。昨年、研究会を持続させるべく「一般財団法人日本伝統織物研究所」を立ち上げた。今、何よりも世間一般にこの危機的状況を知っていただくことが肝要だと考え、復元した裂(きれ)や古代の高機とともに私共の錦織の工房を公開し、月二回程、鑑賞会や織物文化サロンを開くなど一般の方々にも御覧頂ける機会を設けている。
ものづくりの現場なので予約をしてもらわなければならないが、伝統的な錦織の素晴らしさや千年の間、培われてきた先人の知恵と工夫の結晶に触れて何かを感じて頂ければ、と期待している。
古代から自然を愛(め)で、自然と共に生きてきた我々日本人の生活文化の精華である「錦」が忘れ去られることが無いように!
<日本の暦>
鴨川納涼床
5月中は「皐月(さつき)の床」の呼び名もあるとか。京の夏の風物詩「鴨川納涼床」がもう始まっています。
二条通から五条通までの鴨川右岸に、飲食店が川床の帯を形づくる景観は、他所にはない独特の風情があります。6月1日スタートだったのが、1999年から5月1日(9月30日まで)に変わりました。
江戸末期には祇園祭の期間と重なる6月7日-18日(旧暦)まで左右両岸で営業、大変なにぎわいだったといいます。当時は川の中に直接、床几を置いていました。
温暖化の現代、真夏の納涼床は夜でも暑く、涼風が渡る「皐月の床」は狙い目。さっそく今夜にでも。
<リレーメッセージ>
■うれしさの余韻
日本には「後礼」という美しい習慣があります。つまり、お品を頂いた時、お食事に招かれた時、親切を受けた時などその場で言うお礼の他に、後日もう一度「この間はおおきに」とお礼を言う習慣です。
若い世代では、おそらく一度で事足りるので、面倒くさいと思われる場合もありますが、外国でもお食事に招かれたら翌日にカードを贈る習慣の所もあり、丁寧で美しい習慣だとわたしは思っています。すぐに言わなくても、道で会った時に「この間はおおきに」と言うと、相手も一層幸せな気分になられると思います。
日常的に、ここ京都では“おため”という習慣もあります。頂き物をした時、ちょっとした物を「有難(ありがと)う」の意味を込めてお返しする事です。そのせいかわかりませんが、この街では、おためにうってつけな小さくて可愛(かわい)らしいお品が沢山存在します。もらわれた方も、帰宅してうれしい気持ちになられる事でしょう。
日本人は何事にも余韻を楽しみます。控えめにうれしい気持ちを持続する-これこそ誇りに思っても良い習慣ではないでしょうか。最近、この気持ちを忘れていませんか?
(次回のリレーメッセージは、柊家・女将の西村明美さんです)