日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第44回5月6日掲載
仏教の心
他者の幸せな生きざまを願い
僧侶は修行し精進しているか

みずたに・こうしょう

学校法人佛教教育学園相談役
水谷 幸正 さん

1928年三重県生まれ。龍谷大大学院(旧制)文学研究科修了。文学博士。佛教大学長、浄土宗宗務総長、学校法人佛教教育学園理事長などを経て、現在、東海学園理事長、佛教教育学園相談役。2009年旭日中綬章受章。著書に「仏教思想と浄土教」など。

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 私が若い頃(学問に関心興味を持った頃)からすでに60年以上になる。学問研究年の還暦を過ぎた、ということか。

生活に溶け込んだ
本質の研究は「絶後再蘇」である

 自分なりに目ざした研究目標そのものに揺らぎはなかったが、その方法論に自信がなくなったり、迷路に入り込み、抜け出すのに四苦八苦したことが、いかに苦しく辛かったかということを、いまでは懐かしく思い出す。その当時は「このような学問研究することよりか、社会に出てすぐ役立つ仏道実践に入りたい」と幾たび思ったことか。

 もちろん、小生は「仏教学」研究者であったが、仏教学とひとことで言っても、その学問は実に広く、奥ゆきは深淵(しんえん)である。どの学問でも同様であると思うが、仏教学しか知らない者にとっては、他の学問領域と比較する能力は劣る。どの学問でも、その深さは人智を超えたものであろうと思う。そうであるにしても、仏教学は人文科学の中に分類されているが、いうまでもなく宗教学とは異なる。分かり易(やす)く、簡単に言えば、宗教学は人文科学の一分野として位置づけられるにしても、生活の中に溶け込んでいる「仏教」そのものの研究は、実に分野も広く、その教義解明はまさしく大変である。「絶後再蘇」は必ずしも仏教用語に留めておく必要はない。どの分野でも通用するが、まさしく「仏教の本質」研究は絶後再蘇である、といっても過言ではないと思う。仏教の実践を貫いたあとに、再び蘇(よみがえ)るものこそ「生きた仏教」である。

仏教を抜きにして日本文化は語れない

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 このような本質を持つ仏教を主とする日本人の生活の中に生きている「仏教の心」を「人の忘れもの」の中に入れることは、いかがなものか、という疑問を持つ人も多くあろうかと思う。日常生活の中に溶け込んでいる仏教としては(一)家の中に「仏壇」がある。(二)葬式を僧侶に主催してもらう。この(一)、(二)に関係のない者でも、日本国に住んでいるかぎり、環境は多くの寺院に囲まれており、文化財や観光名所の中にも寺院や仏像が多い。文化財に限らず、日常生活を含めて仏教を抜きにして日本文化を語ることはできない。以上が現在までの日本仏教の存在感である。

 しかし、ここ数十年来の日本人生活のありようを思い起こすと、これからの仏教者のありかたは、このままでよいのか、寺院の社会的存在感はいまのままでよいのか、ということを仏教当事者のひとりとして反省しきりなものがある。後継者を養成する大学に籍を置いている者として、つくづく責任を感じる。

大きな志で真摯に歩む人が多く育つことを望む

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 すこし、大袈裟(げさ)な言いかたになるが、日本国ひいては人類全般の世界平和を築くという大きな願いと志を堅持しつつ、仏道を真摯(しんし)に歩んでゆく僧侶がひとりでも多く育ってゆくことを望んで、佛教大学に職を奉じている。

 仏教者(僧侶)は、他者の幸せな生きざまを願うために修行し精進しているはずである。「はずである」と言ったのは、はずれている僧侶が無きにしも非(あら)ずからでもあるが、わたくし自身の厳しい反省のしからしめるところでもある。

 口はばったいことを申しあげたが、僧侶生活60年を経て、いまになって気付いた「大きな忘れもの」であり私自身の懺悔(ざんげ)でもある。

<日本の暦>

立夏

 立夏(5日)がすぎて、暦のうえでは夏に入りました。これからは日中の最高気温が25度を超える「夏日」も増えていきます。

 街ではビアガーデンが開かれたり、女性は日傘が手放せなくなってくるころです。季節の転換を、まぶしい驚きをもって詠んだ西東三鬼の秀句があります。

 「おそるべき君等(ら)の乳房夏来る」。急に薄着になり、開放感あふれる若い女性たちの姿に男性がどぎまぎさせられる初夏です。

 夏といっても、これはあくまで旧暦・二十四節気のうえでの話です。新暦の季節区分に従えば5月は春。北海道では、ようやく桜の見ごろを迎えます。

<リレーメッセージ>

京都女性 スポーツの会会長 水野 加余子さん

■お多福さん

 私の友人で米国出身のエイミー加藤さんという方がいます。彼女は、おたふく・おかめの研究家で、長年の日本暮らしの中で生活文化や、職人の技に傾倒し、日本の古い物を日本人以上に大切に収集しています。

 著書の中でも千本釈迦堂のおかめについて、おかめは厄を除け、失敗を成功に導き、災いを福に転じさせる偶像として崇(あが)められてきました。また、よろずの福を招くことから、おたふく/お多福と呼ばれています。と記し、その歴史と人々の言い伝えが混ざり合って人々のおかめに対する信仰を強くしています。彼女と話せば話すほど、日本に対する愛があふれ出ています。

 日本では衣食住、よく見れば至る所におかめさんがいます。彼女の微笑(ほほえ)みはソースから文具、お菓子に至るまで日本文化の中で良い物を示す守り神だと思います。

 おたふくはとても陽気で楽しい人柄です。良い食べ物が健康な身体を作ります。楽しみや笑いが生活には活力の源です。いつも私たちの心を癒やし日常生活を陽気にしています。お茶目で笑顔をたやさず元気でいられるよう、おかめさんを見習っていきたいと思います。


(次回のリレーメッセージは、料亭本家たん熊・女将の栗栖晴子さんです)

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