バックナンバー > 第38回 地蔵盆の絆
- 第38回3月25日掲載
- 地蔵盆の絆
「向こう三軒両隣」の間の
親類以上の付き合いが肝要
壬生寺貫主
松浦 俊海 さん
1934年、京都市生まれ。龍谷大卒業後にミャンマーで仏道修行。69年、壬生寺貫主就任。唐招提寺85世長老。鑑真学院(中国)名誉学院長。壬生老人ホーム理事長。著作に「壬生大念佛狂言解説」「仏教と芸能―壬生狂言を中心として-」ほか。
8月の京都で一つの風物詩である地蔵盆は、子供達にとって、他人の大人と大きく関わる場である。町内の大人達に何かと教わり、時には叱(しか)られたりもして、地域社会のルールを知って融(と)け込んでいく。また、大人同士も、町内の人々と親しくなるきっかけでもある。住民は互いに、町内にはこんな人達が住んでいるのだと知ることができるのだ。
隣に何人が
住んでいるかも
知らず
しかし近年では、町内どころか隣家に何人(なにびと)が住んでいるかも知らず、たびたび孤独死や孤立死が報道された。行儀の悪い他人の子供を説諭しようものなら、その子に「逆ギレ」されるか、その親が飛んで来て謝るどころか、毒づくことがあるという。
お地蔵さんを本尊とし、三千体もの石仏を安置する壬生寺は、地蔵盆の間、仏教の「出開帳(でがいちょう)」の思想を基に、地蔵の無い町内に石仏の地蔵が出張される「貸し出し地蔵」の行事を行って来た。
マスコミなどからは「レンタル地蔵」などと現代風に呼ばれるが、昔からのしきたりであった。申し込みの件数は、ドーナツ化した新興住宅地やマンションからと、一時は百件を超えたが、現在では半減してしまった。
しかし、子供達は少なくとも、お地蔵さんを囲んでの食事会やカラオケ大会などと趣向を凝らし、「大人の地蔵盆」で、伝統ある行事を続けようと努力している町内もある。自宅のエアコンの効いた部屋にこもり、スナック菓子を食べながら、テレビゲームに夢中になる子供に、地蔵盆の楽しさを理解させるのは難しい。
町内の役員にも、リスクや責任を回避する傾向がある。「文句を言わなければ損」という慳貪(けんどん)な風潮は役員を萎縮させ、消極的にさせがちである。
「畚降ろし」や大あんどんの素晴らしさ
O157やカレー毒物事件の後は、お菓子を手作りしたり、焼きそばやたこ焼きなどの地蔵盆行事を止めた町内が多かった。さらに役員の手間がかかることで、二階から福引の景品を「かご」に入れてロープウエーよろしく、地上の子供に渡すという「畚(ふご)降ろし」や、道路を横断する町内会ごとの大あんどんの素晴らしい作品を見ることもまれになった。
自治会・町内会をはじめ女性会、老人会などをはじめとする地域の各種団体役員のなり手がなく、加入もしない世帯が増えていると聞く。
疎外感や閉塞感がお地蔵さんにも災いしているよう
地域への奉仕を負担に思う人達が多く、少子化が加わって、地蔵盆も休止したり、果ては「土一升金一升の事情」で、個人の土地に善意で所在した地蔵を祀(まつ)る祠をも、所有者が変わるなどすると移転を求められるという負の連鎖が生まれて来る。世の中の疎外感、閉塞(へいそく)感が町内のお地蔵さんにも災いしているようだ。
東日本大震災で「絆」の意義が、大きく注目を集めた。一千年の都、京都は久しく天変地異や戦禍を免れて来た。それ故に、路地や木造家屋が多く、災害には脆弱(ぜいじゃく)だと危惧(きぐ)される。
しかし万一の場合は、庶民が忘れている「向こう三軒両隣」の間の親類以上の付き合いが肝要であろう。その絆を繋(つな)ぎ、隣人を愛し、相隣関係をより親密に出来る一つの手だてが、地蔵盆であると信ずるのである。
<日本の暦>
比良八荒
比良山麓一帯では、毎年3月末ごろに寒さがぶり返し、強い風が吹き荒れることがあります。昔から「比良八講の荒れ(荒れじまい)」と呼ばれ、「比良八荒」の字が充てられるようになりました。
比良八講とは室町時代まで、比良明神などで修された法華経講説の法会。比叡山のお坊さんたちが旧暦2月24日に営んだといいます。法会のころが、ちょうど強い比良おろしが吹く時節と重なっていたのです。
長く途絶していた比良八講は1955年に再興され、毎春3月26日に湖上や湖岸で水死者の供養や人々の息災を祈る関連行事が定着しました。大津市内を練る修験者たちのホラ貝は湖国に春を告げる音として親しまれています。
<リレーメッセージ>
■町家の不思議
京の町家には、八百万(やおよろず)の神々がお住まいです。希望に起きて、愉快に働き、感謝に眠る。そんな暮らしに五感で季節を感じる。
雨の音に目覚め庭に目をやると木々の美しさにハッとする。太陽のまぶしさを木々で遮り、お居間には、木漏れ日が美しい。優しい木の温かみが、心豊かにしてくれる。
なんでもないことに時が止まるような感動を町家の暮らしは思い出させる。大切にしてきたものは、家族への祈り。世の平和。伝統を守っていくことの大変さを、楽しさに変えて、人々に癒(いや)しを感じていただく空間を守り続ける。昔の暮らしの中に思いやりをみつけた。
旧暦4月3日まで、女の子の節句を祝う、代々の「お雛様」が100体、冨田屋を飾る。この家に生まれた女子の成長を毎年、家族親戚で祈り、元気で過ごせることへの感謝。節句に秘められた、日本人の心は、子どもの教育には欠かせないように思う。
七五三で氏神様に大きくなったことを報告して、十三参りで厄払いをして知恵を授かる。成人式までの子どもを見守る家族の愛がしきたりとなって、長く続いた日本。皆で子を大切に育てた。そんな時代が懐かしい。
(次回のリレーメッセージは、ミセスリビング代表取締役の宇津崎光代さんです)