日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第36回3月11日掲載
殺陣は和の文化
死生観すらひそむ時代劇の華
心技一体の身体表現に思いを

なかじま・さだお

映画監督
中島 貞夫 さん

1934年、千葉県生まれ。東京大文学部卒。東映入社後、京都撮影所に配属。64年「くノ一忍法」で監督デビュー。時代劇から任俠、実録、文芸大作まで多様な作品を手がけてきた。昨年から、立命館大映像学部客員教授も務める。代表作に「893愚連隊」「序の舞」「極道の妻たち」など。

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 時代劇の衰退が言われて久しい。

 京都には、古くその出自を此地に持つ多様な芸術文化が現存するが、歴史こそ浅いが時代劇と呼ばれる映像作品群も、この京都が生み育てた日本固有の芸術文化である。

京で生まれ
黄金期を
作った時代劇

 19世紀末、フランスで発明されたシネマトグラフが、わが国に於(お)いて初めて実験上映されたのがこの京都の地。その先端科学技術と、これも京都で生まれた歌舞伎という伝統芸能を結びつけ時代劇という映像文化を生み出したのは、日本映画の父と呼ばれた牧野省三氏であった。

 以来100有余年、京都では多量にして多様な時代劇がつくられ、昭和初期に一度、そして第2次大戦後の昭和20~30年代に二度目の時代劇映画の黄金期をつくり上げて来た。その伝統はTV時代を迎えても引き継がれ時代劇は京都で、という製作体制が長く続いた。

 だが昨今、時代劇の製作本数は激減している。原因はCM効果のみを追求するTV界が制作費の割高な時代劇を敬遠し出したこと。加えて時代劇といえば旧態依然たる勧善懲悪ドラマを繰り返す製作サイドの怠慢が大きかろう。

親しみを込めチャンバラと呼ばれた

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 しかし、まだまだ多くの時代劇ファンの方々がいる。その人達が望むのは、とにかく面白く、観(み)る人の心琴に響く時代劇の登場だろう。その為(ため)にはつくり手に新しい才能が渇望されるが、同時にそれはこれまで時代劇づくりの為に蓄積されて来た知識や技術の確かな伝承があってのことだ。

 時代劇の華の一つに“殺陣”がある。殺陣とは、もともとは能で用いられた用語だが、後に歌舞伎で、そして映画で用いられるようになったアクション・シーンの呼び名で、親しみを込めて人々はそれをチャンバラと呼んだ。

 日本映画の歴史を顧みても、その初期スターと呼ばれたのは、目玉の松ちゃんこと尾上松之助をはじめ、阪東妻三郎、大河内伝次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門…と、皆チャンバラスターだった。

リアルな迫真性に占領軍は禁止令を出した

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 そしてこうしたスター達のチャンバラをより魅力的に見せる為、殺陣師と呼ばれる殺陣専門の振付役が生まれ、斬(き)られ役の専門集団も生まれる。

 殺陣と言っても、その表現方式は一様ではない。能、歌舞伎ではそのあり方から様式性が重視されたが、映画ではその表現力の特性からよりリアルな真迫性が追求された。その極みの事例が第2次大戦直後、占領軍が出したチャンバラ映画禁止令に窺(うかが)える。

 情念と身体と刃の一体化で行う生命のやりとり。占領軍はそこに日本人への不気味さを感じたのだろう。

 もちろん殺陣は“擬闘”という別名があるように演技である。身体表現の美しさのみを求めれば、それは舞踊に近く、激しさのみを求めれば過酷な格闘技に近づく。

 だが、長い歳月の中で殺陣はそのいずれをも超えて、日本人の死生観をにじませる心技一体の身体表現として和の文化となっている。ともすればグローバル化が叫ばれる昨今だが、だからこそ時代劇の、そして殺陣の明日に、思いを致したい。

<日本の暦>

お水取り

 未曽有の大災害から1年が経ちました。地震、津波に原発事故が加わって、人的、物的被害とともに、人々の心の傷は、なお癒えることがありません。

 おりから奈良・東大寺二月堂では国家安寧、万人豊楽を願う法会「お水取り」の真っ最中。日はハイライトとなる「籠(かご)たいまつの荒行」があります。

 回廊で振り回される籠たいまつの火の粉を浴びると、1年の厄よけになるとか。舞い散る火の粉に、被災地復興と、人々の力強い再起を祈りましょう。

 「春はお水取りがすんでから」といいます。お彼岸ももうすぐ。やっと水ぬるむ季節に入っていきます。

<リレーメッセージ>

料亭「菊乃井」女将 村田 京子さん

■いただきます。ごちそうさま

 近頃、お家事情などで家族そろって食卓を囲むということが少なくなり、「いただきます」「ごちそうさま」を言わない人が増えていると聞き、心寂しく思っております。

 幼い頃「水には水の神さんがいやはる」「土には土の神さんがいやはる」と親に言われて育ち、私はそこらじゅうに神さんがいやはるのやと、子供心にすごい大切にしなあかんのやと思っておりました。

 私達お人は、動物の一種(高等動物)であり、私達の食材は神さんから与えられた自然の恵みのものです。食材たちにも命が宿っています。野菜や魚たちは、人のために命を落とし、私達はそれらを口に入れ、命を続けていられるのです。

 命を頂いているという事で「いただきます」やと思います。そして、その食材は、例えば、お百姓さんらが早朝から土を耕し肥料、水を与え大切に育て上げられた野菜であり、それらの食材は運ばれ市場に出荷され店に並びます。

 そうやって私共の手元に届くまでに、あちこちと走り回って下さる人々があるという事で「ご馳走(ちそう)さま」やと思います。全てに有り難うという意味で、この二つの言葉は、大切やと思います。


(次回のリレーメッセージは、長楽館館主の土手素子さんです)

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