日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーンプロジェクト

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第34回2月26日掲載
待つということ
自分を空白にしてひたすら待つ
体験くり返して鍛えられていく

おしだ・きよかず

染色家(人間国宝)森口クニ彦さん

1949年京都市生まれ。京都大大学院を修了後、関西大教授、大阪大教授、同文学部長、理事・副学長、総長を経て、昨年秋より現職。著書に「モードの迷宮」「『聴く』ことの力」「死なないでいる理由」など多数。

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 携帯電話を使うようになって、人を待たせることにあまり疚(やま)しさを感じることがなくなった。遅れそうであれば途中で連絡できるので、相手に今か今かと待たせることもない。電子メールでこまめに連絡をとるのもあたりまえになって、すぐに返事がこないと「親友じゃない」と決めつけたりする。

 子どもを身ごもっても、誕生の日を待てずに男女の別を、ときには面立ちをも知ろうとするのはまだよいとして、子育ての過程で、子どもが勝手に育つのを待てずに、ああだこうだと事あるごとに口を出すのはいかがなものか。子育ての楽しみは、ほんとうは親の思い通りにならないことにあるはずなのに。

長い眼で
見るという
余裕がなくなり

 待てないだけでなく、社会のほうも待ってくれなくなった。組織での業務のばあい、年度ごとに、場合によっては月や週ごとに、計画の達成度が問われる。長い眼で見るということがなくなって、できが悪ければすぐに人を入れ替える。だから人が育たない。政治においても学問においても、成果が出るのをじっと待つという余裕がなくなっている。

日本語にはやるせなさを表すことば多い

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 待ちわびる、待ちあぐねる、待ち遠しい、待ちかねる、待ちくたびれる、待ち明かす、待てど暮らせど、待ちぼうけ……。日本語には待つ身のやるせなさを表すことばが多い。来るやもしれぬひとを待つ身の苦しさ、せつなさを詠(うた)った歌も、万葉の古代よりおびただしくある。なのにわたしたちは、いつからか「待つ」ことが苦手になった。

 製造業から情報・サービス業まで、近代の産業は効率を競う。「少しでも速く、多く」と時を駆る。農業や漁業が主たる生業であるときは、待つというのはあたりまえの感覚だった。農耕や栽培、あるいは漁撈(ぎょろう)は気象に強く左右され、干ばつや台風に見舞われれば、またもう一年待つよりほかなかった。機が熟すのを、時が満ちるのをじっと待つしかなかった。

 待ってもかならず報われるわけではない。時が経つのを息を殺して待つ。自分を空白にしてひたすら待つ。ときに待っていることも忘れるようになってはじめて、その時は訪れる。そういう体験を何度もくり返しているうち、ひとは焦らずに、待つともなく待つという構えを身につける。こんなことをくり返すなかで、ひとは鍛えられてゆく。深く傷ついたこころにもいずれ癒えの訪れる日が来ると、思いさだめることもできるようになる。

「務め」の感覚ずいぶん薄れて文句ばかり言う

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 待つことができなくなるというのは、自分が待たれているという感覚を失うことでもある。人びとからの呼びかけや訴えに応えるという感覚、つまりまさにこのわたしがいまだれかから呼び出されているという「務め」の感覚も、ずいぶん薄れてきている。そして、何もしてくれないと文句ばかり言うようになっている。

 ケーキや和菓子の店に行列をなして並ぶ人びと。かれらは、「待つ」という失われた体感を取り戻そうとしているのだろうか、それとも時代に遅れまいと、時を駆ることにいまも必死なのか。

<日本の暦>

春一番

 ♪雪が溶けて川になって流れていきます…。キャンディーズがかわいさいっぱいに歌った「春一番」は、1976年の発売でした。

 もとは西日本を中心に、漁師さんなどが生活実感に基づいて名付けたといわれる春一番。毎年、2月中旬から3月初旬に吹き、その名が全国に普及したのは戦後のことです。

 気象庁は「立春から春分までの間に、日本海の低気圧に向かって強い南よりの風が吹き、気温が上がる現象」と定義しています。

 温かい風で雪を溶かすのはよいけれど、時に雪崩や竜巻を起こすこともあります。本当の顔はかわいらしさとは縁遠い「春の小嵐」です。

<リレーメッセージ>

ジュエリー作家 松永 智美さん

■世代の役割

 かつて私達は、西洋文化を憧憬(しょうけい)し、ひたすら追いかけてきた。

 しかしいま、失われた「日本」に気づき、変わらなければならないと思っている人達が増えている。そう感じているのは、いままで享受してきた西洋文化に違和感を持ち始めてきたからであろう。

 いまの若者達は、西洋化した日本の中に生まれ育っている。

 そんな彼らが着物を着、町家に住み、農業に興味を持ち都会を離れる者も少なくない。

 大文字の送り火の日に各地で開催される盆踊りでは、踊りに参加する若者達が多くなっている。

 彼らは失われたものを探っている。

 どこかで日本の文化の衰退への危機を感じているのだろう。日本人の魂が目覚め始めている。

 今年の初詣、着物姿の激減に驚いた。

 だが、私自身が着物を着て初詣に行ったわけではない。私達が手本になってこなかったのが問題なのではないだろうか。

 日本人としての誇りと自信を持ち彼らのあこがれの存在となることが文化の伝承となっていくのである。


(次回のリレーメッセージは、桑原専慶流副家元の桑原櫻子さんです)

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