日本人の忘れもの 京都、こころここに

おきざりにしてしまったものがある。いま、日本が、世界が気づきはじめた。『こころ ここに』京都が育んだ文化という「ものさし」が時代に左右されない豊かさを示す。

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第31回2月5日掲載
「床の間」と目線
頭を下げ低い目線で見る床の間
高い目線では見逃すものがある

せん・そうしゅ

武者小路千家家元
千 宗守 さん

1945年京都市生まれ。武者小路千家第14代家元。公益財団法人官休庵理事長。94年、ローマ法皇ヨハネ・パウロII世に謁見し、茶の湯を紹介。大手前大、東京藝術大などで客員教授を務める。

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 私達の日常の生活空間から我(わ)が国の伝統様式が忘れられてしまって久しい。それらの中でも最も具体的なものは「床の間」である。戦後しばらくの間は多くの家は和風様式であり、当然日本間によって構成され、特に客間と言われる部屋には必ず「床の間」が備わっていたものである。

床の間は
日常生活で
最も「晴れ」の空間

 私の知人に90歳にあと僅(わず)かの老人がいるが、この人が若い頃父君の使いで、ある方の家を訪ねた折、早速客間に通された。もちろん立派な床の間があるのが目に入ったのであるが、その瞬間果たして自分はその床にどの様に対して座って主人の出てこられるのを待てばよいのかという疑念が起こり、さんざん迷ったあげくどうにか冷や汗もので役目を終えたとの由を聞いた。

 この様な戸惑いは、一昔前の日本人にとっては「大人」になるための避けて通れぬ関門であった。今は死語となっている「床を背に出来る人になれ」と言う教訓も昔は日常よく用いられていた様に、床は日常生活の空間で最も「晴れ」の空間とされていた。それはその成り立ちが元来はそこに仏画を掛けたり、また仏像を置いて日々礼拝する神聖な空間であった。

洋風化で無駄な空間として排除された

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 それが茶室に用いられる様になって、それらに代って主客共々文句無しに頭(こうべ)を下げる事の出来るもの、即(すなわ)ち共に敬意を抱く先達や師匠筋の墨跡等を掛ける事になった。従って、茶室に入るとまず進むべき場所は床の前であり、正座して身を低くし頭を下げよと教える所以(ゆえん)もそこにある。また、亭主の方も掛け物は客の目線から見て「少しく高く感じる位置に飾れ」との教えも同じ理由による。

 日常において、万人が等しく目線を低くして頭を下げる処が近年住宅の洋風化に伴って最初に不用で無駄な空間として排除されて来たのである。

 東京のさる知人が、本格的な茶室を作ったので是非見に来てほしいとの事で伺った折、その立派な床をまずは拝見と思い、下げた頭を少し上げるや、まず驚かされたのは、その正面横の壁面になんと電気のコンセントが設けられていたのである。東京では一流の数寄屋大工の手になるものだけに余計その度合いも大きかった。要するに今は床の間は頭を下げる処ではなく、テレビや通信機器等々を置く、よく温泉旅館等で見られる様な用いられ方が普通になって来ているのであろう。

立ったままでは「慈眼視衆生」もならない

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 共に頭を下げる処が日常空間より消えてしまう事は自然と目線が高くなり、例えば寺院等で仏像を拝する時、よく立ったままで観賞する姿を見かける。仏像の目線は礼拝する人があくまでも正座して見上げた時、その人と眼が合う様に造られている。立ったままでは仏様の「慈眼視衆生」もならない。私共の茶室に来てもよく立ったままでそこから見える茶庭を見る人が時々いるが、日本の庭園はどれもその隣接する部屋で正座して見る時一番美しく感じる様に構成されている。立った目線ではせっかくのそれも見逃してしまう事になる。

 洋風化によって高くなった我々の目線をもう一度日本人本来の低い目線に戻す事は、伝統的な分野だけではなく、これからの我が国の進むべき方向にも何かヒントが隠されている様に思える。

<日本の暦>

立春

 大陸からの寒気が上空に居座り、今冬の日本列島は、ことのほか冷え込みが続きます。では暦のうえで最も寒い日はいつか-。大寒(だいかん)の前後には違いないのですが、立春も負けていません。「寒(かん)が極まって、もうこれ以上は寒くならない日」が立春なのです。

 ことしは2月4日が立春。二十四節気の起点であり、冬から春へ季節が転換する日として、昔から1年の始まりとも考えられてきました。

 立春に対応する七十二候の初候は「東風解凍」(はるかぜこおりをとく。2月4-8日ごろ)。春を呼ぶ風が吹き、梅が花を咲かせるころとされますが、ことしの梅のつぼみはまだまだ固そうです。

<リレーメッセージ>

白川書院「月刊京都」編集長・山岡 祐子さん

■ヨコ、タテ、ウチ、ソト

 現在、仲間内以外の他者を意識したり、意見を受け入れたりできず、ヨコの人間関係だけを求める若者が増えているという。タテやソトの関係を避ければ、常に同意するミウチ、仲間だけ。永遠にそこに安住できる。

 しかし、「文化の継承」という観点で見た場合、次代に残せるものを失ってしまう。他者との関係性をつかめなければ、正確な理解もできない。

 京都の街に暮らす人々は長きにわたり伝統芸能、技、知恵を継承してきた。個人と個人が真摯(しんし)に対峙(たいじ)し信頼を築くとき、文化は引き継がれる。先代から当代に、師から弟子へと。

 とりわけ地域の祭りでは世代や価値観の違う三世代コミュニケーションが形成されることが多い。例えば祇園祭の囃子(はやし)方。子どもは「折れ反(そ)れ」=礼儀作法を自然と身につけ、祭りを続ける自覚をもつ。長い時間をかけて、相手のことをよく聞き、理解し、興味をもつ「コミュニケーション力」も得ることになるのだ。

 いま、京都の若き文化継承者に注目している。彼らはタテの関係だけでなく、ヨコのつながりも強い。コミュニケーション力をいかして、さらに豊かな文化の土壌を創造し、新たな文化を生み出してほしい。


(次回のリレーメッセージは、千家十職塗師・中村宗哲さんです)

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