バックナンバー > 第30回 鉛筆書きの魂
- 第30回1月29日掲載
- 鉛筆書きの魂
我が身を削って人の為に尽くし
一本芯が通っているか試される
雑誌「上方芸能」発行人
木津川 計 さん
1935年、高知県生まれ。大阪市立大卒。68年、雑誌「上方芸能」を創刊。93年まで編集長、現在も発行人として落語や歌舞伎、能、文楽など上方の芸能文化の紹介、評論を続けている。86年から2006年まで立命館大教授。98年、菊池寛賞受賞。「含羞都市へ」「都市格と文化」など著書多数。
菊池寛の『父帰る』(大正六年)を読んでいて、弟に吐く兄のこんな台詞にぶつかった。
「お前は小学校の時に、墨や紙を買えなくて泣いていたのを忘れたのか」
昔は小学校でも字は筆で書いた。だから「筆箱」「筆まめ」「筆順」と言った。
ワープロ時代過ぎ
パソコン使わず
手書きにこだわる
ところが、鉛筆が筆にとって替わり、大正十年頃には書道の教科以外は使われなくなった。その鉛筆も少子化やボールペン、シャープペンシルの利用増、パソコンの普及で需要を大きく減らした。いまや国内の生産量は最盛期一九三四年の三分の一という。
僕は手紙を万年筆で書くが、原稿の一切は鉛筆で書く。ワープロは一度も使わないうちにその時代が過ぎ、パソコンの世紀になってもワード入力を知ろうとせず、僕は手書きにこだわり続けた。
〆切りに追われたら、恥ずかしながら車中でも書く。ある日、電車の中で、少年が僕の手先をじーっと見ているのに気づいた。
そのとき僕は、両膝の上にティッシュを広げ、鉛筆を削っていたのだ。
鉛筆を手で削るのか!? 少年は電動削り器でしか削ったことがないのだろう。カッターナイフを使う珍しい光景を凝視していたのである。
なぜ、鉛筆書きを崩さないのか。
原稿をきれいに仕上げたいからだ。万年筆では訂正のたびに汚くなる。ボールペンの文字は硬い。詩人・辻征夫がつぎの詩を詠んでいる。
つゆのひのえんぴつの芯やわらかき
鉛筆はしっとりと原稿用紙に馴染む。そのやわらかさがいい。下手な僕の文章ながら推敲を重ねる。そのたびに消しゴムを使う。
メールやパソコンは即物的で温かみがなく、肌触りもよくない。
鉋や包丁が鈍っていて仕事になるか
電動削り器を僕が使わないのは、漏斗形に丸く削られるのが厭なのだ。鉛筆が六角であるように切れ込みは鋭角でなければならぬ。
売文を生業としない僕如き三文物書きにも、書くとは真剣勝負ではないかの思いがある。大工の鉋や板前の包丁が鈍っていて仕事になるか。際立つ山の稜線のような切れ込みを、だからカッターナイフで入れる。
一目見ただけで均整がとれ宙に浮く 匂い立つ香りがある
編集者としても人様の原稿を僕は四十余年読んできた。手書きの優れたエッセイや論考の原稿用紙は、一目パッと見ただけで白い平面は均衡がとれ、空飛ぶカーペットのように宙に浮く。匂い立つ香りがある。
メールやパソコンの原稿には均衡がなく、匂いもない。読まなければよしあしがわからない。
だから僕は鉛筆で書く。メールやパソコンで文字を打っては漢字の心が伝わらない。
こんなことをある人に言うと、その人が語るに、「鉛筆書きするとは我が身を削って人の為に尽くし、やわらかく見えても一本芯が通っているかどうかが試されるということです」と。参った、参った。とてもではない、と兜を脱ぎつつこの原稿も鉛筆で書いた。
<日本の暦>
人日(じんじつ)
「人日」は正月7日。旧暦では健康と厄よけに「七草粥(がゆ)」をいただく日でもあります。
ことしは、きょう29日が旧暦1月7日に当たり、本来の「春七草の日」です。新暦7日ではゴギョウやナズナなども、食べ頃にはまだ早いのです。
人日は、端午の節句(5月5日)などと並ぶ五節句の一つで文字どおり「人の日」。古代中国ではこの日、犯罪者への刑罰を中止したといいます。
「七種(くさ)やあまれどたらぬものもあり」(加賀千代女)。古い由来に思いをはせながら、きょうもう一度、七草粥はいかがでしょう。
<リレーメッセージ>
■京都滞在型観光客として
東京生まれ、京都在住25年になる私。いまだに京都滞在型観光客として、外から内から京都を楽しんでいます。
京都に住み始めて感動したのは、京都の方たちは1年を通して行事、神事を生活の一部として無理せずに行っている事。どんどん世の中は簡素化されていきますが、まだまだ大切に受け継がれていることに、25年前、感心しました。
お正月は初詣をしてからお墓参りに行く事も教えてもらいましたし、節分の豆のまき方、地蔵盆の由来、お精霊さんの事。当たり前に行っている事が新鮮で感動的でした。
そんな京都が大好きで楽しみながら私も守っています。京都生まれのお友達には当たり前ですが、いつでも行けると思っている四季折々の京都の素晴らしさや、大みそかは年越し蕎麦(そば)を食べてから除夜の鐘を聞いて八坂神社におけら参りに行くこと。観光客が憧れる京都の楽しみ方を教えたりしています。
受け継ぐことや守ることは大変なことだけど、私が感動したあの時の想いを伝えていくことが、縁あって京都に住めることになった私の感謝の気持ちです。
(次回は、白川書院「月刊京都」編集長の山岡祐子さんです)