バックナンバー > 第29回 森を守る
- 第29回1月22日掲載
- 森を守る
「自然に仏性あり」と見る心…
崇拝し感謝し共に生きてきた
妙法院門跡門主
菅原 信海 さん
1925年、栃木県日光市生まれ。早大第一文学部卒。早大名誉教授(日本宗教思想史)。文学博士。京都古文化保存協会理事長。天台宗大僧正。著書に「神仏習合思想の研究」など多数。
今は冬枯れのとき、落葉樹の木々は、すべて葉を落としている。なんの装いもなくなった山々が、あるのみ。しかし、この山々も夏には、緑濃き装いだった。
ナラ枯れで茶色に
山容が一変
自然の仕返しでは
この毎年変わらぬ山の姿が、去年の秋口には一変していた。山肌の半分は茶褐色に変わっていた。仕事柄、よく湖西道路を通る機会がある。道路から見る周辺の山々は、ナラ枯れで茶色になった木々が目立つようになった。茶色になった山容の異変に驚かされる。
自然を大切にする日本人にとって、心痛む情景である。かつて、松枯れで日本の山々が茶褐色に変色したことがあったが、今度はナラ枯れとは、害虫による被害ばかりとはいえまい。
山を美しくしようとする管理が疎(おろそ)かになったからでもある。森林の管理とは、そこに植わっている樹木を、いかに環境よく理想的に撫育(ぶいく)するかにかかっている。それを疎かにしたがための自然の仕返しなのである。
己を忘れ他を利するは、慈悲の極みなり
日本人は自然と付き合う心の作法を心得ている。自然の豊かさに、寛容の心が養われてきた。自然の豊かな風土に生まれたわれわれは、自然と共にあり、自然の豊かさを共有してきた。その中に育まれたわれわれは自然に対する感謝の念が、自ずと醸成されてきたのである。
この心が「利他の心」を育成することになり、伝教大師がいう「己を忘れ他を利するは、慈悲の極みなり」の名言を生んでいるのである。
日本天台では、「草木国土、悉皆(しっかい)成仏」という考えがある。草や木、そして国土に至るまで、心をもたないものまで、人間など心をもったものと同じように仏性があって成仏するといっている。
自然との一体感をもつ日本人ならでは発想であるが、日本人はこのように、地球上に存在するすべてのものに、仏になる素質、つまり仏性があると考える。だから樹木を大切に育て、自然の岩石をも粗末にしない。
日本人は、自然は神聖なものであって、仏性宿るものと考え粗末にしないし、美しい自然と共に生きてきたのである。その美しい自然を、美しいまま残しておきたい夢をもっている。
神祇信仰や山岳信仰も「心の作法」が支え
日本人は自然をこのように神聖なものと考えている。それは日本の神祇信仰においても、同じようなことがいえるのであって、日本の神は自然のもの、つまり岩や石に天下るとされ、そこに神を招いて祭をしており、その岩や石を「磐座(いわくら)」「磐境(いわさか)」と称している。その場所は聖域とされ、岩石自体が神聖な石として崇拝の対象となり祭るようにもなる。
崇拝の対象となる自然のものとしては、山であったり、木であったりする。山が神体山として崇拝の対象となり、いわゆる山岳信仰を生んでいる。また特定の木を神宿る木-神木として尊崇の対象とする事例も枚挙に遑(いとま)がない。日本人はこのように自然を大切にし、自然を崇拝の対象としていることは、自然に対する日本人の「心の作法」であって、あくまでも自然と共にある、という美しい心の現れであると思われる。
<日本の暦>
旧正月
旧正月は、旧暦の1月1日(ことしは1月23日に当たる)、またはそこから始まる数日間のこと。1960年ごろまでは、まだ多くの地方で旧正月を祝っていました。
中国や台湾では春節、ベトナムではテトと呼び、今も新暦の正月以上に派手にお祝いします。モンゴルやシンガポールなどでも、旧正月は国民の祝日になっています。
日本では、奄美大島など一部地域を除き、旧正月行事はほとんど見られなくなりました。七日正月(7日)、小(こ)正月(女正月。15日)、骨(ほね)正月(20日)といった旧暦時代から続く習俗も、だんだん忘れ去られているのは時代のすう勢でしょうか。
<リレーメッセージ>
■青い鳥は足元に
京都に生まれ育った私にとり、京都は何ともめんどくさくて、居心地が悪い町でした。
ローマでアートプロデューサーとして活動を始め、「ミホプロジェクト」を設立しました。祖父の翻訳では「興行師」、アーティスト・イベント・デザインなど、ヒト・モノのプロデュースをしています。
起業した頃、イタリアは「奇跡のルネサンス」といわれた時期、伝統の中に新しいアートやデザインなど、革新が素敵(すてき)に共存して、刺激的な所でした。日本はバブルの真っただ中、日本とイタリアの文化の橋渡しも面白く、何をしてもうまくいきました。
そんな時、師から「あなたの仕事は地球人としての仕事、環境や人の心をつぶしてはいけない」と言われましたが、その言葉はとても重く、本当に悩みました。私が私らしく感じられる所を求めて出かけましたが、年を重ねて、その場所が変化している事に気付きました。
伝統と革新が共存している町に憧れ続け、その町が自分の生まれた所だったと気付くのに少し時間がかかりました。青い鳥を探しにヨーロッパへ出かけましたが、その鳥は私の足元にいた様です。
(次回のリレーメッセージは、歌手の平山みきさんです)