日本人の忘れもの 知恵会議  ~未来を拓く京都の集い~

普通の暮らしを続けることで
京の心意気を、世界に誇りたい

井上八千代
京舞井上流五世家元
井上八千代

◉いのうえ・やちよ
京舞井上流五世家元。観世流能楽師片山幽雪(九世片山九郎右衛門)の長女として京都に生まれる。祖母井上愛子(四世井上八千代)に師事。1970年井上流名取となる。芸術選奨文部大臣賞、日本芸術院賞などを受賞。2000年五世井上八千代を襲名。13年紫綬褒章を受章。日本芸術院会員。

名残の紅葉を愛でるころ、顔見世のまねきが上がると、にわかに気忙(きぜわ)しくなり、あっという間に「事始め」となります。
12月13日、新年の準備を始める日で、歳徳(としとく)の神様をお招きするともいわれます。私どもでは、京舞のお弟子さんたちが、一年の御礼と翌年もよろしくとの御挨拶にお見えになります。祇園の芸舞妓(まいこ)も次々に訪れ、皆さまからいただいた御鏡餅を雛(ひな)壇に並べます。おうつりに、御祝儀の舞扇を、名取は翌年の干支(えと)や勅題(ちょくだい)にちなんだもの、それ以外の方には、稽古扇を差し上げる習わしです。
以前には商家でも、別家から本家へとやり取りがあったと聞きますが、今では祇園に残る、師走の京の風物詩といわれているようです。神仏をお迎えするための「煤(すす)払い」や、門松や薪(まき)の準備に山へ入ることも、事始めの行事です。先代がお飾り用の御幣(ごへい)を作るため鋏(はさみ)を入れていたのもこの日でした。
終(しま)い弘法、冬至、終い天神を経て、除夜の鐘を聞き、瞬く間に初春を迎えます。お正月はそれぞれの家のしきたりや好みで、お正月飾りはもちろん、お雑煮一つをとってもこだわりがあるでしょう。
京都には数多くの神社仏閣があり、それにつれて、さまざまな祭りや法会があります。町方の暮らしの中にも、四季の移ろいにつれて、自然な形で影響を与え、京の人々は、各々が、年中行事に沿って動いているように思われます。
私も、年を経るごとに、京の四季の彩りに心魅かれ、人に添い、自然に添い、それらを身の内に取り込むことによって、舞に命が宿ると信じてまいりました。
自然の恵みをいとおしみ、今ある喜びを感謝するとともに、幸多からんと祈りを捧げる気持ちは、昔も今も同じでしょう。
そうこうするうち、今までおろそかにしがちであった年中行事を、先人の知恵を見つめ直し、大切にしたいと思うようになりました。連綿と続く普通の暮らしを続けることで、京の心意気を、世界に誇りたいと思います。

井上八千代

忘れられた道徳の重要性に
日本人は気付き始めた

梅原 猛
哲学者
梅原 猛

◉うめはら・たけし
1925年、仙台市生まれ。京都市立芸術大学長、国際日本文化研究センター初代所長を歴任し、現在同センター顧問。東日本大震災復興構想会議特別顧問を務めた。『スーパー歌舞伎』原作でも知られる。10月に『親鸞「四つの謎」を解く』を刊行。

私は少年時代、山本有三の小説を愛読したが、彼の小説『真実一路』の冒頭にある「真実一路の旅なれど真実、鈴振り、思い出す」という言葉が深く心に残った。彼は自己の人生を真実一路の旅であったと振り返ったのであろう。
ところが、たしか私が『地獄の思想』を書いた1967年ごろ、思いがけなく山本氏から「一度会いたい」という手紙をいただいたが、私は丁重にお断りした。日本を日中戦争・太平洋戦争に駆り立てた戦前の国家主義から、戦後の民主主義、社会主義への転換を易々と行った大人たちが信用できなかったからである。
そしてニーチェやハイデッガー、あるいは太宰治や坂口安吾の影響を受け、ニヒリズムの病にかかっていた戦後の私には、自己の人生を真実一路の旅と考えるような人間は偽善者としか思えなかった。
その後、私は真・善・美のうち真と美については情熱的に語ってきたが、善についてはほとんど語っていない。私ばかりではない。ほぼ同時代の三島由紀夫も吉本隆明も、道徳について声高に語ることはなかった。
日本人は、仏教や儒教の影響を受けた道徳心を無意識のうちに受け継いでいると思われる。30年ほど前、私は国際日本文化研究センター創設準備のために一年ほど東京で単身赴任生活を送ったが、その間、三度ほどタクシーの中に財布を忘れた。しかし三度とも財布は警察署に届けられていた。海外では、落とした財布が返ってくることはほとんどないという。日本人は潜在的に高い道徳心をもっているのである。
それにもかかわらず、戦後の日本人は意識的には宗教も道徳も信じず、ひたすら豊かな生活を求めるエコノミックアニマルとまで揶揄(やゆ)されるほどになった。それゆえ学校においては道徳が教えられず、道徳教育の復活には今なお多くの知識人が懐疑的なのである。おそらく、世界の文明国のなかで宗教教育や道徳教育が行われていないのは日本くらいであろう。山本有三のように真実一路の道徳的な旅を奨励する鈴を振る人はまったくいなくなったのである。
しかしこのような道徳の不在が今や大きな問題となってきている。政治家や官僚の不祥事は後を絶たず、近年、犯罪は悪質・巧妙化する一方である。
ようやく日本人は、忘れられた道徳の重要性に気付き始めたのである。

梅原 猛

仏教は問われています
見失ったものを取り戻したい

江里康慧
佛 師
江里康慧

◉えり・こうけい
1943年、仏師・江里宗平の長男として京都に生まれる。京都市立日吉ケ丘高校美術課程彫刻科卒業後、松久朋琳・宗琳師に入門。89年、三千院から大仏師号を賜る。2003年、京都府文化功労賞、07年に財仏教伝道協会から第41回仏教伝道文化賞を受賞。著書に『仏像に聞く』『仏師という生き方』『京都の仏師が語る 眼福の仏像』など。

仏教とはお釈迦(しゃか)さまの悟りの境地に導く教えのはずです。それはとてもシンプルなはずです。でも、現実には8万4千の法門あり、といわれるほどに多くの宗派や教義、教学があり、難解で近寄りがたいものになっています。仏像も然り、最初はお釈迦様のお像だけでしたが数多(あまた)の仏、菩薩(ぼさつ)、明王、天のお像が見られます。思いますに煩悩や執着と呼ばれる自我(じが)が「ポキッ」と折れないために多数の法門、数多の仏像が生まれてきたと申せましょう。だから人は永遠に悩みや苦しみを抱え続けてゆくのです。
お釈迦様の時代、仏教では悟りの境地に至るには出家が第一義と考えられました。釈尊が歩まれた道をひたすら辿(たど)ることが重んじられたからでしょう。
釈尊のご入滅後、心の支えを失った在家信者の人々は、お釈迦様のお心は「悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」、つまり、すべての人が救われるはず、と考えた人たちの中から西暦紀元前後頃に大乗仏教は興ってきました。それまでの厳しい修行によってのみ救われると教える上座部中心の教団の中から興った大乗仏教は、仏教における一大革命であったと申せます。厳しい修行はもちろん大切ですが、その修行は家庭や仕事を持つ在家の人たちにはかないません。ですから悉皆成仏の心に添っているとは申せません。
仏師の世界では徒弟制度が大切にされてきました。師匠の下に入門し、師匠と起居をともにする修行の中で「木の中に仏はすでにおわします」「仏師はただ余分なところを払うだけだ」と教わります。つまり仏性はすでに、わが心の奥底に備わっている、という意味なのでしょう。こうした内観、内省による新たな道が開かれたのです。
学校の日本史で教わった飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代の時代区分はそのまま、その時代に生きた人々の心のうねりと重なります。人の心に仏教という小さな灯がともされ、人から人に伝えられて、やがて隆盛のときを迎えますが、やがて形骸化し、翳(かげ)りが見られ、衰退の途を辿ります。仏教を見失って、世の中が「五濁悪世(ごじょくあくせ)」や「末世」へと荒廃しますと、仏教を違った角度から説く方が現れました。後の世に祖師や宗祖、中興と讃えられる方々です。こうして8万4千の法門が生まれてきたのだと思います。それは我執(がしゅう)がポキッと折れないから、ただそれだけのことだったのではないでしょうか。
いま、仏教は問われています。見失ったもの、置き忘れたものを取り戻したいものです。

江里康慧

家を丈夫にして暮らすことが
私たちに今必要な新年の計

尾池和夫
京都造形芸術大学学長
尾池和夫

◉おいけ・かずお
京都造形芸術大学長、日本ジオパーク委員会委員長、東京で生まれ高知で育った。専攻は地震学。1963年京都大卒業後、京都大助手、助教授、教授、2003年12月京都大第24代総長、13年4月から現職。著書に『日本地震列島』『新版活動期に入った地震列島』『日本列島の巨大地震』『四季の地球科学』『天地人』など。

祇園御霊会(ごりょうえ)の初見は、『祇園本縁雑実記』にある。「貞観十一年天下大疫の時」と記録されている。そのころの国の数に相当する66本の矛を立てて6月14日、神輿(みこし)を神泉苑に送って祭った。これを祇園御霊会と呼んだ。
西暦紀元の800年代、日本列島は大変な大地の活動期であった。理科年表から拾い出してみれば、818年(弘仁9年7月)、マグニチュード7・5の地震が関東諸国を震わせて以来、827年に京都地震、830年の出羽地震、841年の伊豆地震、また850年出羽の地震と続き、868年、兵庫県山崎断層が動いた。
そして869年7月13日(貞観11年5月26日)、三陸沿岸を巨大地震による大津波が襲った。今の祇園祭の原型といわれる祇園御霊会の祭りが挙行された日の2週間ちょっと前に、2011年3月11日の大津波に匹敵すると言われる、三陸の大津波が起こったのである。そしてさらに、878年に関東諸国の大地震、880年出雲の地震と続き、887年8月26日(仁和3年7月30日)、五畿七道を揺るがす南海トラフの巨大地震が起こった。
一方、富士山はそのころ爆発を繰り返し、864年6月から866年にかけて噴火活動が続き、青木ケ原溶岩大地を形成した。そのころ、富士山だけではなく、日本列島の多くの火山が噴火していた。
天満宮に祀(まつ)られ、学問の神様と言われる菅原道真が、日本で最初に地震のカタログを編集したのが、この貞観の時代であり、政(まつりごと)の頂点に立つ人の仕事が地震に関する仕事であったということこそ、そのころの地震活動のすさまじさを教えてくれているのである。
貞観11年、東北の太平洋岸を襲った大津波の状況が早馬で都に伝えられ、祭りの用意をして御霊会が行われたと考えれば、6月14日の祇園御霊会の開催の日付が理解できると、私は思うようになった。
今、私たちは貞観の時代の地震活動期の再来に遭遇しているのかもしれない。これから先、富士山が噴火し、内陸の活断層で大規模地震が起こり、やがて2038年と予測されている南海トラフの巨大地震を迎えることになる。せっかくの長期予測を大切にして、南海トラフの巨大地震の前の内陸の地震活動期での震災を軽減するため、家を丈夫にして暮らすことが、私たちに今必要な、新年の計ではないだろうか。

尾池和夫