京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
第51回 6月16日掲載 対談
- 伝統芸能
- ソフトパワーによる善なる魂の復活を
株式会社東急文化村 代表取締役社長
升田 高寛 さん
ますだ・たかひろ 1957年、東京都生まれ。79年、慶應義塾大工学部卒。同年、東京急行電鉄株式会社入社。2012年6月、株式会社東急文化村専務取締役、東京急行電鉄株式会社グループ事業本部副事業本部長に就任。今年4月から現職。東京急行電鉄株式会社営業本部副本部長、東急グループ営業戦略会議議長を兼任。
- 伝統に息遣いを加え、心に響く表現を
フラメンコダンサー・振付師
マリア・パヘス さん
マリア・パヘス スペイン・セビージャ生まれ。4歳でダンスを始め、アントニオ・ガデス舞踊団、マリオ・マヤ舞踊団などで主演ダンサーとして活躍。96年「アンダルシアの犬 ブルレリーアス(嘲笑)」で、コレオグラフィー国家賞を受賞。スペイン舞踊界最高の栄誉ともいえる、ナシオナル・デ・ダンツァなど受賞多数。
- 自ら創作したフラメンコ舞踊「ユートピア」を舞うパヘス氏。
(今年5月、2年ぶり16回目となる来日公演を開催)
©川島浩之
升田◉仙台藩主の伊達政宗が1613(慶長18)年、支倉常長ら慶長遣欧使節をエスパーニャ帝国(スペイン)などに派遣してから400年。記念すべき年にパヘスさんを京都にお招きし、両国の文化について対談できることをうれしく思います。
『100年先を見据えた上で、至高の芸術が洗練された観客とともに、見事に溶け合う場』として、東京都渋谷区に心をこめて創り上げた東急文化村は、当時としては日本初の複合文化施設で、来年25周年を迎えます。国際社会は経済力、軍事力といったハードパワーで全てを制覇できるという未熟な考えがいまだ続き、このままでは人類は滅亡に至るのではないかと、私は強い危機感を抱いています。今こそ、文化、芸術などを中心としたソフトパワーにより、世界中の人たちが忘れかけている、本来人類の持つ善なる魂(魅力や感動で動く心)を復活させる必要があるのではと考えています。個人主義ではない、日本人の根底に流れる他人を思いやる「利他」「道徳」の精神と、伝統文化、芸術が世界平和構築の一助となることを切に願っています。いかがでしょう。
パヘス◉おっしゃるとおりです。スペインでも近年、経済至上の考え方が横行し、人間としての倫理観を忘れている人が多くなったことを、私も非常に危惧していました。
今回の来日で披露したフラメンコ舞踊「ユートピア」は、観客に人間が本来持つ価値観を再評価する心をよみがえらせてもらいたいとの思いから、私が創作した演目です。文化、芸術、伝統芸能は、経済力では決して成し得ない、古来、培ってきた人間ならではの魂を復活する活動だとの思いで、私自身は常に肝に銘じて舞台に立っています。
西欧諸国では、先人の残してくれた良き過去を、おざなりにする傾向が強いのですが、日本では、能、歌舞伎、俳句、工芸といった伝統を大切に伝承されていることに敬意を表します。
升田◉日本文化を評価いただき、ありがとうございます。残念ながら、まだまだ日本の伝統が世界の人たちに知られていないし、国内でも、失われた20年に育った若者たちは、人間の心の奥底まで響く和の技の持つ素晴らしい伝統に触れるチャンスを与えられることもなく、上滑りな文化、芸術もどきに流れてしまう危険性が散見されます。
京都商工会議所では、京都1200年の歴史を基に完成された、伝統と文化、技能などを世界に紹介する文化発信事業を実施していると伺っています。私も東急文化村のある東京の持つグローバルパワーを活用し、及ばずながらお手伝いさせてもらいたいと思っています。例えばパへスさんにはぜひ、西陣織の衣装をまとって舞っていただくなど、世界中で日本の伝統技術の美しさを紹介していただければと思います。
パヘス◉今回、京都に立ち寄り、伝統技術の素晴らしさを実感しました。機会があれば、西陣織の衣装を着用した舞台も実現してみたいと考えています。
伝統の根幹部分をしっかりと次世代に継承するのが、今を生きる私たちの責務です。ただし、伝統をそのまま現代人に鑑賞してもらうだけなら、それは単なる考古博物館的なものにしかすぎません。私たち芸術家は、伝統に現代の新しい息遣いを加え、その時代を生きる人の心にも響く表現をしなくてはなりません。
フラメンコは、伝統芸能の多くがそうであるように、伝承に基づいて現代まで伝え続けられています。日本の能、歌舞伎も同じですね。口承のエッセンスだけは守り続け、いかに新しい要素を加えて現代人に喜んでもらえるか。私が新しい演目を創作するときの大きな課題です。
升田◉昨年亡くなった歌舞伎の中村勘三郎さんは、伝統だけに甘んじていたら必ず衰退するとのお考えから、東急文化村のシアターコクーンで、古典歌舞伎の新解釈「コクーン歌舞伎」を上演するなど、常に新しいことに挑戦されていたのだろうと思います。ただし新しいことと言っても、「かぶく」、時代に即した粋を表現するという、歌舞伎の原点に立ち返る活動ではないかと思います。パヘスさんの思いと通じるところがありますね。
世界の伝統芸能の多くは、収穫を願い、感謝するような、人間と自然の融和を原点にしている物が多く、大地と足の動きなども、すり足は能に進み、飛躍はバレエに進化した。フラメンコのサパテアート(足打ち)も、原点は同じではないでしょうか。ですから、自然と共存することを源に置く芸術こそ、世界を融和させることができる最も大切なソフトパワーになると私は信じています。
パヘス◉サパテアートは、まさに大地を打ちならす、フラメンコの大事な技法です。日本では、喜多川歌麿の浮世絵表現、松尾芭蕉の俳句など、現代でも十分世界に通じる伝統芸能があることを、うらやましく思います。
私は今、女性の世界を表現する舞踊の創作に着手しており、この中に和のエッセンスも取り入れてみたいと考えています。日本の伝統に根差した芸術活動が、フラメンコとともに、世界のイニシアチブを取ることに期待しています。
きょうの季寄せ(六月)
泥鰌(どじょう)もそうだが、鯰も略画に髭(ひげ)は欠かせない。その特徴を表して人の顔にも鯰髭と言い及んでいる。
掲句、釣りあげたものを取り落とし薊の茂みに逃げ込んだものか、梅雨の頃おい増水によって生簀(いけす)から逃げ出たものか、意外な絵画的な構図が楽しくもある。
産卵期の梅雨鯰の類題や水田小溝に遡(さかのぼ)るのをごみ鯰と称する題もある。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・51
小畑 弘 さん 農家 (南丹市美山町/85歳)
一握りの土
明治生まれの祖母と暮らしたのは、たった15年ほどであったが、几帳面(きちょうめん)で律義な性格のように思えた。15年戦争が徐々に激しさを加え、食糧増産、銃後の守りが声高に叫ばれる時代であったので、余計に、質素倹約を私たち孫に伝えてくれたのであろう。そんな中で、今でも忘れられないのは「下草一束で土一握り」だといって、田や畑の土を外へ持ち出すことを強く諫(いさ)めていたことである。
夏の暑い最中、山麓の芝刈山で隔年に刈取る灌木(かんぼく)をそのまま乾燥させて家へ運び、牛舎の敷藁(しきわら)としそれが貴重な堆肥となり、農地の唯一の肥料として大事にされた。このようにしてできた腐葉土だけに土を粗末にしなかった。それにひきかえ、農機具が大型化し容赦なく土が農道などに散乱している今日、祖母が生きていたら嘆くであろう。
私はこの一言が70有余年頭から離れず、土を大事にしながら、先祖から受け継いだ農地を大切に農業に精を出している。