日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第50回 6月9日掲載

多様性の意味
自然と社会の多様性の尊重は、地球の歴史が作り出した
豊かな自然と人類が末永く共存するための心構え。

安成哲三さん

総合地球環境学研究所所長
安成 哲三 さん

やすなり・てつぞう 1947年、山口県生まれ。京都大理学研究科博士課程修了。筑波大地球科学系教授や名古屋大地球水循環研究センター教授などを歴任後、2013年、総合地球環境学研究所所長に就任。専門は気候学・気象学。現在は、地球環境を包括的に調査分析する地球環境学の分野でも活動。秩父宮記念学術賞、水文・水資源学会国際賞など受賞多数。

金子みすずさんの詩に「みんなちがってみんないい」という一節がある。多様性の大切さをこれほど端的に表現したことばはない。この世の中にあるものは、それぞれちがっていて、それぞれの役割をもって存在している、ということであろう。多様性に対立するのは、一様性あるいは画一性である。現在、世界経済を中心に進行しているグローバリゼーションは、世界をある意味で画一的にしようとする動きである。そのような社会では支配とコントロールのために、いくつかの限られた指標による序列化を伴っている。「○○ランキング○位」が流行(はや)るのは、このような社会である。SMAPの歌、「世界に一つだけの花」は「ナンバーワンよりオンリーワン」と唄(うた)って、このようなグローバリゼーションの動きに伴う画一的な価値観ではなく、多様な価値観を主張して、多くの人々から共感を得た。

丸い地球は極から熱帯までの気候の違いを作り出す

イメージ その1
自然の画一化は、同時に地域の文化や風土の多様性の破壊をもたらしている。(油やしプランテーション/マレーシア)

では、なぜ多様性が大切なのだろうか。それは人間社会の生存基盤である地球の自然の多様性から来ていると私は考える。丸い地球は極から熱帯までの気候の違いを作り、海陸の分布は、東西方向にも大きく異なる気候を作り出し、地軸の傾きは季節の変化を作っている。このような気候の分布は、多様な生物相を作り出し、その多様な自然の恵みを受けつつ長い年月をかけて作られた人類は、多様な社会と文化を築いてきたわけである。

私たちが住む日本列島は、米国のカリフォルニア州にすっぽり入ってしまうほど小さいが、北海道から沖縄まで、多様な気候と生物相に恵まれている。この多様な自然の恵みを長い年月をかけて利用することにより、地域ごとに多様な風土と文化が生まれている。山登りが好きな私は、山の自然に加え、立ち寄る山麓の町や村の景観や文化の違いや、それぞれに特有な産物なども楽しんできた。

京都では、まだいろんな物産・商品を扱う小売店が存続している

イメージ その2
イメージ その3

しかし、最近は日本各地の都市を訪ねても、駅前風景の画一的なことにがっかりする。どの駅でも東京に本拠をおく大手デパートやスーパーが駅前の一等地を占め、昔ながらの地元の商店街の多くはシャッターを閉じている。千年の都・京都では、幸いまだ、細々といろんな物産・商品を扱う多様な小売店がそれなりに存続しているが、その背後には、多様な農林水産業とモノづくりがあることを忘れるべきではない。

グローバリゼーションによる自然と社会の多様性の喪失は、世界的に進行している。多様な樹種を持つ東南アジアの熱帯林は、訪れるたびに広大な油やし林やゴム林に変えられている。自然の画一化は、同時に地域の文化や風土の多様性の破壊をもたらしている。画一的な自然と社会は、気候変動や極端な気象現象などの、環境変動に対して脆弱(ぜいじゃく)であり、生じる被害も大きくなる。そのような環境変動そのものも、巨大化した人類の活動により顕著になってきていることを、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)などは指摘している。つまるところ、自然と社会の多様性を大切にすることは、やや大げさに言えば、46億年の地球の歴史が作り出した多様で豊かな自然と人類が、末永く共存できるための必要な心構えではないだろうか。

きょうの季寄せ(六月)
咆えてもみよ 往きては復る 泥田の牛 西東三鬼

機械を入れやすく圃場(ほじょう)整備が完(まった)うされた今日では、代掻(しろか)きを牛や馬がしている光景はまず見ることがない。田掻牛、田掻馬は歳時記上のことである。

掲句、黙々と代掻きに勤(いそ)しむ牛への愛情が激情なって感情移入される。

老生昭和三十四、五年の句の「泥田出て馬の眼黒し桐の花」は、水郷潮来(いたこ)での叙情である。
(文・岩城久治)

「きょうの心 伝て」・50

脇野由香 さん 主婦(京都市山科区/51歳)

茄子の花 茄子の棘

昨夏、鮮やかな小茄子(こなす)が涼しげにスーパーの棚に並んでいた。この鮮やかさを残したまま浅漬けを作ってみようと思った。かわいい小茄子には似つかわしくない鋭いへたの棘

(とげ)が、爪のすき間に入った。小さいなりをして刺さるとけっこう痛いものだ。棘抜きを使ってみてもうまく抜けない。

指をくわえて考えていたときに、「棘が刺さったら蜂蜜をぬってみたらとれるよ」と、昔祖母が話していてくれたことを思い出した。中学生だった私は、当時あまり関心を示さなかった。お盆に精霊馬(しょうりょううま)を作りながら教えてもらったことの一つだった。

「親の意見と茄子の花は千に一つも徒はない」。子供の頃、両親から叱られることがあれば、幾度となく祖母は私にこの言葉を教えてくれた。心が波立つことがあっても忘れてはいけないこと、大切なことを暮らしの中で伝えてきてもらった。そんなことを思い出しているうちに、指からは溶けるように棘が浮き出した。

協賛広告を含めた実際の掲載紙面の全体データはこちら(PDFファイル)

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