京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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- 第49回 神々を迎える心
第49回 6月2日掲載
- 神々を迎える心
- 24日復活の議論は、疫病・天災に逝った人々の
鎮魂を願う祇園御霊会の本義に立ち返るいい機会かもしれない。
祇園祭山鉾連合会顧問
深見 茂 さん
ふかみ・しげる 1934年、京都市生まれ。大阪大文学研究科修士課程修了。専門はドイツ文学。96年に祇園祭山鉾連合会理事長に就任。以来、5期15年にわたって理事長を務めた。この間、祇園祭の文化的な地位の向上に尽力し、2009年9月にユネスコ無形文化遺産の登録を実現。大阪市大、滋賀県立大各名誉教授。祇園祭山鉾連合会顧問。
6月に入ると京都の中心部では、そろそろ祇園祭に向けての話題が市民の口にのぼりはじめる。特にここ2、3年はいわゆる後祭(あとまつり)復活の議論が盛んである。そもそもこの祭りの一番大切な御霊会(ごりょうえ)当日とは、7月24日、つまり後祭が昭和40(1965)年まで巡行していた日なのである。17日夕、神輿(みこし)3基は御旅所に渡御(とぎょ)、1週間後の24日夕、全氏子の居住地域を巡って災厄を取り払い、八坂神社へ還幸される。
さて、この17日から24日までの1週間、昭和40(1965)年までは、氏子は一切の職業活動を中止して生活も心も神々を迎える態度に切り替えていた。「もうかりまっか」のシフトから、「ありがとうございます」のシフトへの転換である。日ごとの務めに追われる俗世をはるかに見下し、われわれを根源において生かし、守り、監督し、叱咤(しった)する最高の諸霊の存在に思いをいたし、1週間、神々への奉仕に努める非常に重要な日々であった。
西欧の祭りでもこれは常識であった
- 後祭は昭和40(1965)年まで巡行されていた。最後の後祭巡行で三条通を東に進む北観音山。(1965年7月24日、京都市中京区)
西欧の祭りでもこれは常識であって、待降節や受難節がこれにあたる。店は閉じられるので、室町筋ではお盆よりもこの時期を利用して丁稚(でっち)や番頭たちは帰郷したり、海水浴に遊んだりしていた。旦那衆は腹心の手代・番頭のみを引き連れて連日、町家(ちょういえ)に祭りの指揮・相談のため詰めていた。各家々も商品は片付け、奥座敷から店の間まで建具を取り払い、床の間には牛頭天王(ごずてんのう)の軸をかけ、神々と客を迎えるしつらえをした。いわゆる屏風(びょうぶ)飾りである。
主婦は最も多忙である。この1週間、その日その日のしきたりをこなさねばならない。そして24日巡行当日ともなると、例えば私の母などは、台所で立ち働きながらも自分の町内の舁(か)き山がシャンシャンと鈴の和音を響かせつつ帰還してくるのを一町も前から耳聡く聞き分け、「それ、御帰りやした」と叫び、女衆(おなごし)、男衆(おとこし)、子供たちを引き連れて表へ走り出、かしわでを打って帰着した黒主(くろぬし)さんを拝んでいた。
京都市の観光政策に渡りに舟と乗った結果
- 祇園祭宵山。大勢の見物客で埋め尽くされた四条通。
(京都市中京区四条通寺町から西を望む) - 座敷の建具を取り払い、屏風などを飾り公開する山鉾町の旧家。(京都市中京区、藤井家)
この心が崩れて行ったのはいつ頃からだろうか。糸偏景気華やかとなり、秋ものの仕入れに訪れた地方の得意先から、1週間も休まれては商売にならんぞとクレームがつき出し、町内の者たちもこの1週間を損失と思うようになり始めたのだろう。そこへ、巡行を一日に纏(まと)めて集客増加を図る京都市の観光政策の指導に対し、渡りに舟と乗って24日を捨てた結果が、今日の17日一本化と私は考えている。なお、その間、神社も花街もこれに動ずることが無かった見識には敬意を表する。
やがて人々の気風も一変し、休商どころか、祭りこそは儲けのためのターゲットと化して狙い撃ちされ、今や絶好の売り出しフェア日と考えられている。時代精神の変化であろうし、止むを得まい。しかし、だからこそ24日復活の議論は、われわれが今一度、人知を超えた存在に思いを寄せ、心静かに、疫病・天災に逝った人々の鎮魂を願う祭り、祇園御霊会の本義に立ち返るいい機会かもしれない。
きょうの季寄せ(六月)
9日が旧暦5月1日、11日が入梅(にゅうばい)にあたる。五月晴は本来梅雨(つゆ)の合間の一時的に晴れた天気をさしていい、5月のすがすがしく晴れわたった空、天気のことではなかった。
府内与謝野町立江山文庫では16日まで企画展「太陽をうたう」を催し、色紙、短冊、軸物その他を飾っている。企画展に因(ちな)めば一茶に「はつ旭鍬(くわ)も拝(おがま)れ給ひけり」がある。
(文・岩城久治)
「きょうの心 伝て」・49
小出公江 さん 主婦(滋賀県草津市/58歳)
綺麗な日本語
母を誘って滋賀県立美術館の『装いとしつらえの四季』を見に行ってきました。
母は生粋の京女、紬(つむぎ)が好きなので志村ふくみさんの染織に興味があるかなと誘ってみたのですが、美術館備え付けの車椅子があったので1時間以上かけてゆっくり見て回ることができました。
初夏の掛け軸の前に竹工芸の花籠が置いてあったり、緑釉(りょくゆう)の陶芸作品が並べてあったり、季節ごとに楽しむことができました。
日本人は古(いにしえ)より春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉、冬の雪景色と四季の美しさを愛でてきました。そしてそれを装いや部屋のしつらえにも生かしてきました。
それにしても『装い』『しつらえ』という日本語は、なんて綺麗(きれい)なんでしょう。でも日常生活で使いこなせてないです。この前使ったのはいつのことでしょうか。これからは綺麗な日本語を使いたいと思った美術展でした。