京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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- 第48回 食の本質
第48回 5月26日掲載 対談
- 食の本質
- 食べることで生きる喜びも得られる
株式会社進々堂 代表取締役社長
続木 創 さん
つづき・はじむ 1955年、京都市生まれ。82年ミシガン州立大経営学部ホテルレストラン経営学科卒、進々堂製パン株入社。2001年株進々堂代表取締役社長就任、現在に至る。京都市内で12店舗の直営店とホテル・レストランへのパン販売を展開、「パンのある心豊かな生活の提案」をめざす。
- パンは「分かち合い」の象徴である
在京都フランス総領事 アンスティチュ・フランセ関西館長
フィリップ・ジャンヴィエ=神山 さん
フィリップ・ジャンヴィエ=かみやま 1954年、フランス生まれ。トゥール大心理学部卒、78年フランス外務省入省。在ソビエト連邦・フランス大使館三等書記官、在京都フランス総領事などを経て、2010年1月、関西日仏学館(現アンスティチュ・フランセ関西)館長に就任。フィンランド白薔薇勲章騎士章、レジオンドヌール勲章シュヴァリエを受章。
- 1932(昭和7)年頃の進々堂寺町店。(京都市中京区寺町通竹屋町)
続木◉進々堂は、おかげさまで今年、100周年を迎えました。創業者・続木斉(つづきひとし)は私の祖父ですが、東京でキリスト教思想家・内村鑑三の門下生をしていたとき同門の鹿田久次郎と出会い、彼の妹・ハナと結婚。鹿田が郷里の京都で開いたパンの店を続木が引き継いだのが1913(大正2)年です。彼は1924(大正13)年に日本人パン屋として初めてフランスに留学しました。渡欧には船旅で2カ月もかかった時代です。それほどパンづくりの本場フランスの文化に触れたいという願望が強かったのでしょう。
ジャンヴィエ◉当時のパリにはフランス国内外から芸術家が集まり、藤田嗣治画伯をはじめ日本からの留学生も数多く滞在していました。フランス人の日本文化への関心も高く、文化交流が盛んだった時代です。1924年は、東京で日仏会館が創設された記念すべき年でもあります。
日仏会館は、日本とフランス両国の知的交流を目的として、「日本資本主義の父」渋沢栄一と、駐日フランス大使も務めた詩人で劇作家のポール・クローデルらによって設立されました。京都にアンスティチュ・フランセ関西の前身・関西日仏学館ができたのは、その3年後です。
続木◉パリから家族に宛てた祖父の手紙を読むと、日本食への欲求を忘れるほど彼がフランスの食文化とパンに感動していた様子が伝わってきます。帰国後、フランスパンの製造・販売に情熱を注ぎました。苦労したのは、柔らかいパンが当たり前だった日本で、フランス独自の硬焼きパンを理解してもらうことでした。おいしくて健康にもいいフランスパンの素晴らしさを知ってもらおうと自作の詩を新聞広告に掲載して注目を集めたといいます。今では日本中で食べられるようになったフランス料理とフランスパン。日本人のこの100年間の食生活の変化には目を見張るものがあります。
ジャンヴィエ◉確かに「フランスパン」を食事用に買い求める人は日本でも増えましたね。ただ、大半の日本人にとってフランス料理は「ちょっと、おいしいものが食べたいな」と思ったときに食べるものであって、日常的に食べるものではないと思います。フランス人が日本料理を食べるのも同じ感覚です。フランス人と日本人には「食」に関する共通点が少なくありません。おいしいものへの探究心が強く、世界に誇る食文化を持つ点もそうですし、食事が空腹を満たすだけでなく、喜びをもたらしたり、楽しい思い出をよみがえらせたりすることを知っています。
続木◉食べることで生きる喜びも得られるということですね。「生けるためのパンは多くあるも、生ける者へのそれは、まれである」という言葉を祖父も残しています。経済力を手に入れた日本人は、食べるという行為に心の豊かさを求めるようになりました。それ自身はすばらしいことなのですが、一方、様々なメディアや、食品・流通の業界がしかける過度なコマーシャリズムが、日本人の食生活をゆがめているような気がしてなりません。反動で食に無関心な若者も増加しています。新しいものを取り入れながらも、堅実で生活に密着した「食の本質」を忘れてはならないと思います。我々メーカーもいたずらに新商品開発競争に走るのではなく、ベーシックな本物のパンをしっかり提供することが大切と考えています。
ジャンヴィエ◉今でもフランス文化の中で重要な位置を占めているパンを私が食べるとき、その背後にある文化も体内に取り込んでいるような気持ちになります。フランスで農業に従事する人の方が多かった時代、何はなくても食卓に必ずあるのがパンでした。家族や友人が一つのパンを分け合って食べたことから、パンは「分かち合い」の象徴、人と人を結び付けるものと考えられています。日本では今、家族が別々に食べる「孤食」や、食卓は一緒でも別々の料理を食べる「個食」が増え、子どもたちに与える影響が心配されています。
続木◉現代の日本人が忘れているのは、家族がそろって食卓を囲み、料理や会話を分かち合うことで、共に生きる喜びも味わうことの大切さではないでしょうか。そういう食卓に進々堂のパンもありたいと願っています。
また、パンというものが持つ本質を理解するには、それを育んだ風土や文化に触れることが大切と考え、社員を連れて毎年フランス旅行をしています。私自身も2年前からフランス語の勉強を始めました。アンスティチュ・フランセ関西では、フランス語の授業以外にも、本国から一流のアーティストや作家を招いて、さまざまなイベントを開催されていますね。
ジャンヴィエ◉京都フランス音楽アカデミーの開催は来春で24回目を迎えます。館内には藤田画伯寄贈の絵画や、伝統的フレンチをお召し上がりいただけるカフェもあります。京都大学百万遍キャンパスの正門前にありますので気軽にお立ち寄りください。当館がフランスの芸術や文化を知っていただけるオープンな場所でありたいと願っています。
きょうの季寄せ(五月)
陶淵明「帰去来辞(ききょらいのじ)」に「雲は心無くして以て岫(しゅう)(山のほら穴)を出(い)で」の章句がある。また蕪村に「鮒ずしや彦根の城に雲かゝる」がある。
塩漬けに仕上げた魚を飯漬けにし重石(おもし)をかけて発酵させる、なれ鮓(ずし)。作者は鮓の熟(な)れ時にいたる頃合(ころあい)と機が熟して雲が岫を出る自然の営みとを重ねあわせて思いやる。掲句の鮓と雲の取り合わせは蕪村に学ぶか。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・48
福居 佳子 さん 主婦 (京都市右京区/53歳)
面倒なこと
「わぁ、きれいやなぁ」
「もうこんな時期かいな」
新聞には毎日、
行事や花の写真が掲載されている。
不安な政情や痛ましい事件、
事故の記事が
多くの紙面を占領しているなか、
これらの京都の季節だよりは、
心を和ませてくれている。
しかし、
その行事を受け継ぐ重荷、
その花を育てるための苦労は
並々ならぬものであろう。
京都の人はその面倒なことが、
心豊かな暮らしになることを
知っている。
だからやり続けるのだろう。
ずっと昔からその暮らしを
守っていくために。
ずっと先までこの暮らしを
受け継いでいくために。