京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
- バックナンバー
- 第46回 日本のピアノ作品
第46回 5月12日掲載
- 日本のピアノ作品
- 日本人作曲家のピアノ作品に関心をもち弾いてみることを、
多くの日本のピアニストは忘れかけているのかもしれない。
京都コンサートホール館長
田隅 靖子 さん
たすみ・やすこ 1938年、神戸市生まれ。フェリス女学院短大卒。国内外でテーマに基づく演奏会を開催し、「ショスタコーヴィチの夕べ」に対し、大阪文化祭本賞受賞。CD「フランクピアノ作品集」「アウシュヴィッツ鎮魂」をリリース。京都市立芸大名誉教授、京都市文化功労者。
音楽ホールに掲示されている音楽会予告チラシを眺めるのは楽しいことである。だが最近、気になる現象がひとつある。ピアニストの巨大な顔写真や経歴の詐称が出没することに驚いているのは私一人ではあるまい。昔はもっとシンプルなポスターが海外・日本ともに貼られていたように思うが、「音楽」まで「宣伝」の時代に入ったのだろうか。
さて、今から1カ月ほど前の4月13日、京都コンサートホールでリサイタル「ピアノで綴(つづ)る日本のメロディー」を開催した。かつて1987年に大阪で同種のリサイタルを開き、武満徹、松村禎三、永富正之、八村義夫、香月修、細川俊夫、藤島昌寿の作品を取り上げているので、今回は第2回目となる。
日本人のピアノ作品ばかりを演奏するリサイタルは多くない
- 洋楽を志す人間は、その作品・演奏に日本人音楽家にしか出せない深い味を出す使命を果たさねばならない。
声楽の世界では、日本歌曲はソロ・合唱・オペラの各分野で頻繁に耳にすることができるが、日本人のピアノ作品ばかりを演奏するリサイタルは多くない。
当日、最初に演奏した助川敏弥作曲「こもりうた」と西村朗作曲「星の鏡」に対して、終演後、「東日本大震災で亡くなった人々へのレクイエムと感じた」との思いを述べられた方があり、意外でもあり嬉(うれ)しくもあった。
次のステージでは、瀧(たき)廉太郎の作品「メヌエット」と「憾(うらみ)」を演奏した。
廉太郎は、ドイツ・ライプツィヒ留学が叶(かな)い、作曲家への道が開けたと思うまもなく、結核を発病し帰国命令に従わざるを得なかった。生家へ戻り、無念さのにじむ「憾」を作曲した4カ月後、23歳で他界した。その廉太郎を、7歳年下の山田耕筰は「わが国最初の作曲家ともいうべき先輩」と尊敬している。
日本では、廉太郎の生まれた年(1878)に音楽取調掛が開設され、その掛長・伊沢修二などの努力により、東京音楽学校(現東京藝術大学)が創立されている。リサイタル後半で演奏した土田英介作品は2000年、前述の瀧作品は1900年、と100年の開きがあるのだが、この間に日本のピアノ作品は複雑さを増し、演奏上の困難を伴うようになり、世界中に通じるようにもなったと思う。
古都・京都から世界への「忘れもの」の少ない発信を
- 近代日本人作曲家の先駆けと言われる瀧廉太郎。
岡城跡に立つ瀧廉太郎像。(大分県竹田市) - 1995年に完成した京都コンサートホール。(京都市左京区)
ピアノは、1709年にイタリア・フィレンツェのクリストフォリが発明し、その後この楽器のために、1722年、J ・S・バッハが「平均律クラヴィーア曲集Ⅰ」を、1732年、ジュスティーニが「ピアノ曲集」を作曲した。一方、日本ではヤマハが1900年にやっとアップライトピアノを、1902年にグランドピアノを製造している。
リサイタル終了後に、「日本にも多くの良い作品があることを知り、興味をもった」との感想を予想以上にいただいた。
現在、日本人作曲家のピアノ作品に関心をもち弾いてみることを、多くの日本のピアニストたちは忘れかけているのかもしれない。ピアノの勉強は晩学だった私も40歳近くになって初めてヨーロッパピアノ研修旅行を開始、フランス、ハンガリー、ロシア、そしてチェコでは、アウシュヴィッツで命を絶たれたウルマンとクラインを追い、その作品でリサイタルを開いてきた。絵画に日本画と洋画があるように、音楽にも邦楽と洋楽がある。洋楽を志す人間は、広いヨーロッパの古い歴史を持つ音楽を多く知った上で、その作品・演奏に日本人音楽家にしか出せない深い味を出す使命を果たさねばならない。
京都コンサートホールでは、今秋11月10日に、新企画「創作の現在~関西の若手作曲家を中心に」を主催する予定である。これからの日本作曲界をになう若い人材を育成し、古都・京都から世界への「忘れもの」の少ない発信ができることを願っている。
きょうの季寄せ(五月)
たとえばパンジー、三色菫(すみれ)の花を何に見えますか、と尋ねなくとも胡蝶花・胡蝶菫の異称がそれを物語っていよう。生きものの貌(かお)と応えたり人の顔を思い浮かべたりすることがあるようだ。
掲句の発想の一つの広がりと把(とら)えてよいであろう、後藤夜半には「山上憶良を鹿の顔に見き」がある。
それならば石の表情はどうだ。
(文・岩城久治)
「きょうの心 伝て」・46
平井七百次 さん (滋賀県野洲市/84歳)
めだかの減少に心を砕く
春が来ると「春の小川」や「めだかの学校」などの童謡を、みんなで楽しく歌った幼児の頃を思い出す。
ところが最近は、そのめだかの姿を見かけない。めだかだけではなくて、泥鰌(どじょう)や小魚の姿も見かけなくなった。もう過去の生物になってしまった思いがする。
生物種の絶滅は、リベット(鋲(びょう))を次々と落としながら飛ぶ飛行機に例えて、その数が増えるとやがては空中分解してしまうと、誰かが言っていた。
発生してから後手後手の対応に右往左往するよりも、事故の発生と被害が予想される段階で、真摯(しんし)に対策を練る進取性がほしい。
今の政治は、アベノミクスとやらで、経済の再生とデフレ脱却に軸足を傾注しているが、生物保存への環境保全にも、平行して取り組んでほしいものである。