京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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第35回 2月24日掲載 対談
- 言葉
- 自分の言葉を探しながら話すこと考えて
京都産業大総合生命科学部教授
永田 和宏 さん
ながた・かずひろ 1947年、滋賀県生まれ。京都大理学部卒。京都大再生医科学研究所教授を経て、現職。大学在学中に本格的に短歌を始め、芸術選奨文部科学大臣賞や斉藤茂吉短歌文学賞など受賞多数。2009年、紫綬褒章。短歌結社「塔」主宰。近著に「近代秀歌」など。
- 言葉を見つけるとは、思いを発見すること
大谷大文学部教授・元大阪大総長
鷲田 清一 さん
わしだ・きよかず 1949年、京都市生まれ。京都大文学部卒。大阪大教授、総長を経て、現職。哲学を専門とし、文化批評にも取り組む。サントリー学芸賞、読売文学賞、桑原武夫学芸賞。2004年、紫綬褒章。近著に「大事なものは見えにくい」など。
- 「予測変換」機能は、新しい表現を工夫したり、新しい言葉を覚えることもなく、語彙を貧しくさせているのではないか。
永田◉最近のケータイやタブレット型端末には、よく使う言葉を優先的に表示してくれる「予測変換」機能が搭載されています。「あ」と入力するだけで「ありがとう」と出るのでとても便利ですよね。しかし、これは怖いことで、新しい表現を工夫したり、新しい言葉を覚えることもなく、語彙(ごい)がどんどん貧しくなりそうです。
鷲田◉女子中高生を中心に生み出される新語・流行語はメディアも追いつけないほどの勢いですが、大人には解読不能なものが少なくありません。今の日本社会では政治家も経済人も芸能界の人たちも自分たちの話が通じる域内の相手とだけ話し、それ以外の人とのコミュニケーションなど初めから念頭にないように思えてなりません。
永田◉最近の学生同士の会話を聞いていても同意を求める内容がほとんだという気がします。私たちの学生時代のように教員と議論しようという学生も少なくなりました。自分と相手とが違う考えを持っているというのが本当は一番おもしろい筈(はず)なのですが、自分が相手と違っていないということに安心したいのかもしれない。これだと対話を通じて深くお互いを理解したり影響を与え合ったりする機会もなくなってしまいます。
鷲田◉学生に自分をアピールするプレゼンテーションをさせると、よどみなく話すその口調には、ざらついたところ、ひっかかるところがなく、まるで書き言葉を聴いているような気になることがあります。しょせんゲームだと割り切っているのか、それとも思いをそのまま伝えることになにか怯(おび)えを感じているのか…。
永田◉私たちが「言いたいことがうまく言えない」と言うときは未熟だから言葉が見つからないのだと思っていますが、自分が言いたいことを探している過程であることが多いようです。短歌の場合、31文字という詩型に収めようと、ああでもないこうでもないと考えるうちに、硬直した言葉がほぐれ、立ってくるような気がします。それまで気付かなかった考えや思いが出てくる面白みが、私に40年以上も短歌を続けさせているのだと思います。
鷲田◉言葉を見つけるというのは、ある意味、思いを発見することですからね。私も講演では事前に決めた骨格に沿って話しますが、授業では学生の反応を見ながら変えていくので着地点が見えません。時には結論が出ないこともありますが、それ自体が教育になると私は考えています。私たちが生きる現実社会では、すぐには答えの出ない問いも、答えのない問いも多いのですから。
永田◉鷲田さんの近著「『ぐずぐず』の理由」で、記者会見や学会で発表をする官僚や研究者の「言葉の宛先」を考えていないような語り口が気になると書かれていたのがとても印象に残っています。近ごろは、誰に語りかけているのでもない言葉で話す人が多くなっていると。自分の思いを人に伝えることの大切さが今の日本では忘れられかけているのかもしれませんね。
鷲田◉日本では個性教育の名の下、小中学校で一時期、子どもたちにテーマを与えず自由に感じたことを書かせていた「自由作文」の弊害も大きいと私は考えています。語りかける宛先も決めずにどうやって自分の思いを表現できるのでしょうか。短歌でも歌謡曲でも言葉はもともと他者に宛てたメッセージではなかったかと思います。訴えとか懇願、なんとしても説得したいという思いに裏打ちされていない言葉は上滑りするばかりです。
永田◉わが家はいつのまにか家族全員が歌を詠む家になってしまいました。面と向かって話をしなくても、なんとなく互いの近況や思いを理解している気がします。一昨年妻の河野裕子が乳がんで亡くなりましたが、彼女は死の前日まで歌を作っていました。そこには、家族への思いをなんとか伝えたい、残したいという強い思いがあったと思います。
長生きして欲しいだれかれ数へつつ つひにはあなたひとりを数ふ 河野裕子
本当に大事なことはなかなか伝えられないものです。しかし、型があることで自分の思いを却(かえ)って素直に言うことができるのですね。彼女が亡くなって、残された歌が私たち家族を支えてくれているという側面が確かにあります。若い人たちにも、ぜひ自分の言葉を探しながら、話をするということを考えて欲しいと思いますね。
きょうの季寄せ(二月)
「日々是好日」この慣用句は「碧巌録」にあるそうだ。毎日毎日が平和なよい日、それにふさわしいあり様が作者にとって「鶯の来鳴く」ことである。「笹(ささ)鳴き」は鶯の舌打ちをするような冬の鳴き方である。
今日は旧暦の1月15日、小正月である。従って今年は「年内立春」であった。和風は「元日を地球が廻(まわ)る元日も」と気宇の大きな句を残す。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・35
佐々木 義雄 さん (京都市伏見区/79歳)
京ことば
私が北海道の片田舎から、この京都へやってきて60年以上になる。その間、数限りない京ことばを聞かせてもらってきたが、その中で私には決して忘れられない京ことばが、3つある。
その1つ目は「おはようお帰りやす」。朝学校へ行こうと思い下宿のおばさんに「行ってきます」と挨拶したところ、おばさんが返してくれた言葉。2つ目は「またおいない」。学生生活もようやく慣れ、行きつけの喫茶店の帰りがけに、女性店員が掛けてくれたもの。そして3つ目の言葉は、「おきばりやす」だ。私が2年前まで一人で自営業をやっていたころ。得意先の社長さんが街で出会うと、決まって私に掛けてくれたものである。
これらの言葉を通して、私は京都人の優しい心に触れたような気がしていた。今もこんな言葉は京都人の間で使われているのであろうか。この3つの言葉を思い出すたびに、私のまぶたの奥には3人の顔が走馬灯のように浮かび上がってくる。