日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第33回 2月10日掲載

ものづくり
私はいつも、感情を持つもの、
感情が伝わるものづくりを心がけたいと思う。

村山明さん

木工芸家
村山 明 さん

むらやま・あきら 1944年、兵庫県尼崎市生まれ。京都市立美術大彫刻科を卒業後、黒田辰秋に師事。71年に日本工芸会正会員となり、国内外を問わず作品やワークショップが高い評価を受けている。京都府指定無形文化財認定、重要無形文化財保持者(人間国宝)であり、京都府文化賞功労賞など受賞多数。紫綬褒章受章。日本工芸会理事。

人類の進歩の中で、気持ち良く過ごすことを追い求めて利便性が向上したいっぽう、自然は荒廃しつつある。太古は裸で山中に暮らしていた人が、コンクリートに囲われた住まいで暮らすうちに、自然を敬い愛する心がなくなってきたように思う。例えばエアコンで住居を冷やせば冷やすほど、排出された熱で地球は暑くなる。温暖化などの環境破壊は、人が便利と快適だけを求めた積み重ねの結果だろう。

しかし、一度手に入れた快適さを手放すのは難しく、人はより楽をして心地良く過ごす方向へと向かう。物質や暮らしの快適さを求めすぎると、自分の首を絞めることになるだろう。同時に、快適であれば多少の自然破壊は仕方ないと考えるのは、自己中心的で他を思いやる心の欠落をも意味する。

殺伐とした世の中は、対象への思いやりが薄れたあかし

イメージ その1
責任と誇りを持って作品を送り出す。木と向き合い、「この木でこれを作りたい」と感じるものを作ろうと努力している。

古来、日本人は国土も資源も限られた中で、目指す国づくりにたいへんな努力をしてきたはずだ。それが戦後の大量生産・大量消費の風潮で忘れ去られ、新しいものが良い、古びたり傷んだら捨てて新品を買えば良い、というふうに変わってきた。ものがあふれて簡単に買い換えられる便利な社会だが、一つのものを使い続ける、ものに愛着を持つということが少なくなってきた。

物質に対してこうであれば、人間関係にも波及する恐れがある。殺伐とした世の中は、何かを愛する、対象への思いやりの心が薄れたあかしだともいえないだろうか。好きでずっと使いたいと思うものを手に入れ、愛着心を持てば、大切に使い続ける気持ちも育ってゆくだろう。この継続するという気持ちは、学問や仕事にも通じる。

精神的な豊かさを手に入れる努力を忘れてはならない

イメージ その2
イメージ その3

もちろん作り手も、常にその心を忘れてはならない。売れるから作るとか、安易に面白さや目新しさを求めると、本当に良いものが見えなくなってしまう。手作りの長所とは、「良いものを作りたい」と願う作者の心が伝わってくることだ。いびつで雑なのを「手作りの温もり」と勘違いするむきもあるが、それなら機械で作ったほうがずっと確かなものができる。発想や想(おも)いを創造する技があり、作り手が責任と誇りを持って送り出すものこそが良品だ。

そんな気持ちで見直すと、好きになれるものとは、作者の「作りたい、表現したい」という気持ちが伝わってくるものではないだろうか。私はいつも、そういう感情を持つもの、感情が伝わるものづくりを心がけたいと思う。木と向き合い、「この木でこれを作りたい」と感じるものを作ろうと、日々、努力している。

人間関係においても、付き合いとは人の話を聞いて自分の意見も言う、つまり、対話で理解や和が培われる。自分さえ良ければという安易な自由や快楽ではなく、何事にも向き合って、じっくり考えることが大切ではないか。簡単に入手できるもので満足するのではなく、考えて考えて突き詰め、望むものや、ことへ至ろうとする強い意志を持たねばならない。外面ばかり構うのではなく、精神的な豊かさを手に入れるための努力を忘れてはならないだろう。

きょうの季寄せ(二月)
ぬるみてや 蜷(にな)はひまはる 水溜(たま)り 阪本四方太(しほうだ)

春になり、水にあたたかさが感じられる、それを季題「水温む」、川や池、掲句のように「水溜り」に「蜷はひまはる」その跡が水底に残っている、その跡形を季題「蜷の道」と称する。

小さな生きものが春の息吹きをいちはやく感じ活動する。蜷は蛍の幼虫の餌食である。従って蜷のいるところ夏は蛍が見られる。
(文・岩城久治)

「きょうの心 伝て」・33

堀江 保男 さん 日本童謡協会員(京都市北区/68歳)

会津に什の掟

京都流、什(じゅう)の掟(おきて)

一、お正月、ほうきを使ってはなりませぬ。

二、家の敷居、踏んではなりませぬ。

三、門掃き、お隣へ踏み入ってはなりませぬ。

四、嫁入り、一条戻り橋を渡ってはなりませぬ。

五、新しい履物で土間におりてはなりませぬ。

六、十三参り渡月橋で振り向いてはなりませぬ。

七、祇園祭に胡瓜を食べてはなりませぬ。

これは什の掟とはいえ、お婆(ばあ)ちゃんのつぶやきです。子供はなんで?どうして? と思いながら育ち、そして京都を理解するのです。

一、神さんを掃き出さない。二、敷居は当主の頭。三、つかず離れずの関係。四、戻るを意味嫌う。五、不吉な事が。六、ご利益なし。七、八坂神社の神文。

かつて京都の知恵や心配り。後世に伝えて行きたいものです。

協賛広告を含めた実際の掲載紙面の全体データはこちら(PDFファイル)

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