日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第25回 12月16日掲載

日本画
すべての山川草木と共に生きている
悦びと厳しさを想い構想する幸せな時間。

猪熊佳子

日本画家
猪熊 佳子 さん

いのくま・けいこ 1958年、京都市生まれ。京都市立芸術大大学院(日本画専攻科)修了。81年、日展に初出品。90年ごろ、初めて屋久島を訪ね、その森に感動、森など自然から感じる取るものが作品のテーマとなる。95年の阪神淡路大震災を機に画家の役割に目覚め、本格的に日本画家としての生活に。京都府文化賞奨励賞、京都市芸術新人賞など数多くの賞を受賞。

15歳で日本画の世界に触れてから、長い年月が過ぎました。今でも描く度に新しい発見と出合いがあります。

日本画材は自然の素材から作られたものが多く、準備や工程は複雑で時間がかかり、気候に左右されます。けれどそのことがかえって豊かな時間と工夫を与えてくれます。日本画には自然のあらゆるものと生命や時間を共有し共に生きる、そんな世界観があると感じています。

日本画科を選んで入学した高校で、初めて目にした絵の具は宝石のように美しく、先輩の描かれた作品の緻密さに驚いた記憶は今も鮮明に残っています。日吉ヶ丘高校美術工芸コース(現銅駝美術工芸高校)には130余年の歴史があり、卒業生が多くの作品を残してくださっています。

加山又造先生13歳の写生が作品を創る支えと礎に

イメージ その1
すべての山川草木と共に生きている悦びと厳しさを想い、構想しながら、自宅のアトリエで屏風の制作で仕上げの調子を入れる猪熊佳子さん。

当時、私が見せていただいたのは加山又造先生が13歳で描かれた土瓶の緻密写生でした。口の大きな小ぶりの土瓶は茶色の土肌に、白い秞薬(ゆうやく)がそこにあるような手ざわり、藤(とう)をまいた持ち手の感触まで伝わります。何も知識がないままでしたが、じかに身体と心に滲(し)みる教育を受けたことは、現在でも作品を創る支えと礎になっています。高校生活でよい作品に出合い素材に触れた経験は、小さな種をたくさん蒔いてくれました。

日本画の顔料は主に、貝殻を焼き天日干しし、染料で染めた水千絵具、胡粉(ごふん)、半貴石(はんきせき)を砕いた岩絵具を動物の皮革から採れる膠(にかわ)で画面に定着させて描きます。絵の具は一色一色、絵皿に指で溶きおろさなくてはなりません。膠は温度や湿度で性質を変えます。それらで描くのは面倒で難しい作業ですが、そのことが、豊かな時間を与えてくれます。

よい作品や素材に触れる時間を楽しみながらもの作りを

イメージ その2
ふれあいクラブの授業風景(安朱小学校)。
イメージ その3
児童作品の掛け軸と風呂先屏風。
イメージ その4
「煌めきの森へ―冬」(20F 60.6×72.7cm 銀箔 2012)

森や山々を巡り出会った人々、思いがけず差し込んだ光、突然の雨、動物たちの気配や鳥の囀(さえず)り、そこここで感じた、すべての山川草木と共に生きている悦(よろこ)びと厳しさを想(おも)い構想する幸せな時間です。ゆっくりと小さな種が発芽するのを待つ。工程の多い画材がくれる贈り物だと思っています。

8年程前から近くの小学校で月に一度美術の授業をしています。日本画材にじかに触れ、作品を創る悦びと作品を通じての新しい出合いを体験してほしいという願いからです。一年をかけて掛軸や、屏風(びょうぶ)を作ります。分からないながらも裂(きれ)の模様を写し、色が滲む和紙に指で絵の具を溶き描いてゆきます。じかに絵の具に触れ、金や銀の粉を使い作ります。一年の最後の授業には、陶芸クラスの生徒が作ったお茶碗を使い、茶道クラスの生徒のお手前でお茶会を開きます。床と着席に掛軸を掛けるとても楽しい会です。絵の具にまみれ描いたこと、作品を通じて友達と新しい出会いがあったことが、小さな種となり、子どもたちの心に時間をかけて文化を愛する心が芽生えることを願う授業です。

よい作品や素材に触れる時間を楽しみながらもの作りをすること、学びや日常の生活がそうあることを願っています。

きょうの季寄せ(十二月)
裏畑の 落葉に鶏(とり)の 卵かな 波静(はせい)

肉にしろ卵にしろ、大量の需要に応じるために、鶏は良質の飼料を与えられ、運動を阻まれ、大型鶏舎の中でひたすら肥育や多産に励んでいる。

ごく稀(まれ)にこれとは異なった飼育法にて鶏にかかわる商いを営む業者もある。すなわち放し飼い、掲句のごとき景である。かつて見馴れた農村家庭の普段の景である。
(文・岩城久治)

「きょうの心 伝て」・25

池上 博 さん 公務員(京都市南区/53歳)

京の門掃き

私は生まれてから中学卒業まで、古い平屋の回軒長屋で大きくなった。幼稚園に入る前くらいまでは、水道の蛇口は家のなかにはなく、二軒にひとつ家の外にあるだけだった。

当時の家の前の風景で印象に残っているのは、大きな木のりんご箱を利用したごみ箱が置いてあったことである。このごみ箱には、「京の門掃き」の風習で、毎朝互いの家の前を清掃して出たごみを捨てたりしていたが、門掃きは近所の主婦同士のコミュニケーションの場であった。

今も一部の企業では、門掃きが行われているが、その一方でスーパーやコンビニのごみ箱に「家庭ごみ持込みお断り」の表示を見るたび寂しい気持ちになる。そういう行為は、ごみと一緒に自分の良心をも捨てているのではないかと思うとともに、昔の風習の大切さを再確認するのである。

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