京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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- 第23回 戦後教育
第23回 12月2日掲載 対談
- 戦後教育
- 日本は、和の精神を持つ調整型リーダーが必要
成基コミュニティグループ代表 兼 CEO
佐々木 喜一 さん
ささき・よしかず 1958年、京都市生まれ。同志社大文学部卒。87年28歳で成基学園の第2代理事長に就任。当時5教場だった学習塾を近畿圏125教場へ展開。幼児教育から小中高大受験、就職支援、社会人教育等、総合的に発展させた。「もう一歩踏み出せば人間力は上がる」など著書多数。
- まずは型。「道」の部分を忘れ去った戦後教育
学校法人立命館 常任相談役
川本 八郎 さん
かわもと・はちろう 1934年、石川県生まれ。58年立命館大法学部卒。同年学校法人立命館事務職員、84年同常務理事、89年同専務理事、95年同理事長を経て2007年現職。06年11月京都市教育功労者賞受賞、07年11月旭日重光章受章。著書に「大学改革?立命館はなぜ成功したか」がある。
佐々木◉日本青少年研究所による「中学生・高校生の生活と意識調査」の中で、「自分はダメな人間だと思う」という設問では、「そう思う」と答えた高校生が、中国で13%、アメリカで22%なのに対して、日本では66%にも達しています。これは、日本の子どもたちの自己肯定感や自尊心、自信のなさを如実に表している結果です。同じ調査で、「親を尊敬している」との設問では、日本だけが極端に少ないという結果でした。
本学園では、詰め込み型ではなく、自分自身で考える創造開発型の教育を実施。少しずつ成功体験を味わいながらステップアップできるカリキュラムを編成し、まずは自信を持たせ、自尊心、自己肯定感を高める工夫をしています。また授業開始前には、塾に通わせてもらっている保護者に感謝する意味を込めた合掌と黙想を全ての塾生に義務付け、「進学塾であり、人間塾である」ことを本学園での教育理念にしています。
川本◉自分を肯定できない、親を尊敬できない子どもたちが日本で群を抜いて多いのは、保護者にも多少の責任はあるでしょう。でも学校が戦後民主主義教育を深めることを怠り、個人の形式的権利ばかりを強く植え付けてきたことに最大の原因があると、私は考えます。日本の公教育では、民主主義の基本である他人も含めた個人の尊厳意識を教える部分が抜け落ちているんですね。当然ながら、自己主張には自己責任も伴うことすら教えていないようです。
加えて戦後教育では、家族や先生には「おはようございます」、給食を食べるときの「いただきます」、先輩を敬う礼儀、礼節の部分も、なぜそうなのかという意味、道理から教えています。幼い子どもたちには、まずは型から入らせる。なぜそうするかの意味は、一定の年齢に達すると、本人たちは自ら理解するのです。武道、華道、茶道など、「道」の付く修行と同じことで、自分で道理を考えなければ身に付くはずがありません。戦後教育は「道」の部分を忘れ去っているのが残念でなりません。
- 東洋史学者であった内藤湖南の書「穏歩漸進 日々新生」(錦林小学校蔵)
佐々木◉私がPTA会長をしていた小学校で2週間、保護者の有志が登校時に校門前へ集まり「あいさつ」運動をしたことがあります。学校側から参加したのは校長と教頭だけで、一般教員は誰一人として運動に加わりませんでした。まずは教員から、社会人のリーダーとして範を示すべきでしょう。
子どもたちに自立心を持たせ、社会に出てからリーダーシップの発揮できる人材に育ってもらおうと、本学園では全ての講師がコーチングを学び、伸びようとする気持ちや無限の能力を引き出すことを第一に考えて指導しています。コーチングとは、傾聴、質問、承認のプロセスを繰り返すことで個人の能力を可能な限り引き出し、問題解決を探るスキル向上を実現することを目的とする手法です。
私の考えるリーダーシップとは、「俺が正しい、黙って従え」といった覇権主義的なものではなく、日本の誇る和の精神をもって、困難な諸問題を調整してまとめる、ファシリテーション能力のある人材です。本学園では1962年、京都で「あすなろ学園」としてスタートして以来、多くの調整型リーダーを世に送り出しています。
川本◉かつて、ある大手銀行の社長と話していたら、部長までの人材は山ほどいるが、役員に登用したい人物がいないと嘆いていました。会社ですと、営業なら営業だけ、生産なら生産だけに携わって定年を迎えるケースが多くあります。これだと、その面では万能であっても、組織全体を掌握できるゼネラルマネジャーが育ちません。ゼネラルマネジャー不足が日本の経済力を低下させている要因でもあると、私は分析しています。
大学経営で言えば、学長や理事長には実質、教員人事権がなく、教授会にも出席できないといった例も珍しくありません。強力なリーダーシップを発揮しようにも、できない現実が、大学だけでなく多くの組織にはあるはずです。戦後の経済成長期に構成された組織そのものを見直す時期にあるのではないでしょうか。
佐々木◉ありがたいことに京都には、変化してはならない本質的なものを忘れず、常に新しく変化を重ねる「不易流行」の精神が根付いています。一時的な虚勢に満ちた強さや礼儀作法の乱れを、それとなくいさめてくれる。こんな地域で育った人材こそが、ほんまもんのリーダーシップを発揮できると信じて私たちは教育実践活動を続けています。
川本◉京都は、伝統工芸が基盤にある土地です。職人の世界では、親方から技術面は何も教えてもらえなくて、自分で盗み学ぶものでした。その代わり礼儀作法だけは、とことん仕込まれます。
現在の日本人、子どもだけでなく大人もですが、多くが内にこもったままで世界全体に目を向けていません。礼儀作法がしっかり身に付いていれば、何事も自信を持って外に向かって発信できるはずです。
きょうの季寄せ(十二月)
画集か、植物図鑑的な挿絵のある綴本か、その栞として思い羽(鴛鴦(おしどり)の雄の飾り羽)を挿んでいる。
いったい誰がこのような雅びなことを思いついたのだろう。そうそう手に入るものでもなかろうにと思う。そういえば鳥の美しい羽根を飾り用に利用して、ペン軸や婦人帽に取り付けてある趣向なども思い起こす。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・23
草川 公子 さん 主婦(京都市左京区/53歳)
里見八犬伝の教え
「仁義礼智忠信孝悌」これこそが昔の日本にあって現代にない貴い宝だと思う。
しかし、時代の流れに人間は勝てず、高度経済成長により国が豊かになった結果、自らの知恵や労力を使わなくても生活できる「ラク」を知ってしまった。殆(ほとん)どの仕事は機械が仕上げてくれ、頭を使って記憶しなくても全てパソコンが管理し計算までしてくれる。
機械はどんどん賢くなり、人間の能力は急低下している現代だと感じる。
その上、道徳という言葉が消え、ゆとり教育のぬるま湯の中「礼智備わった日本人」と感じられる人が、どれほどいるだろうか。
拝金主義の中、「義」や「忠」は消えてゆき「孝」を行おうとも社会状況は献身を保つことで精一杯で、折に触れ昭和の時代を懐かしく思う。人との触れ合いの中で生活は成り立ち、ことある度に礼儀を教えられ、人の道を重んじる教育があった。どんな社会であろうと、「心」と「智」を磨く努力は忘れないでいたい。