京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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第22回 11月25日掲載 対談
- 教育
- 明治の教育には大切なものが含まれていた
財団法人日本漢字能力検定協会理事長
髙坂 節三 さん
こうさか・せつぞう 1936年生まれ。59年京都大経済学部卒業。同年伊藤忠商事株式会社入社、89年同社取締役、93年同社常務取締役を歴任の後、95年栗田工業株式会社代表取締役専務、99年同社取締役会長を経て2011年3月より現職。その間、東京都教育委員、経済同友会幹事を務める。
- 言葉、文字は国や地域の文化が凝縮した鏡
京都大大学院法学研究科教授
中西 寛 さん
なかにし・ひろし 1962年大阪府生まれ。85年京都大卒業。87年同大大学院修士課程修了。91年同大法学部助教授、2006年同大公共政策大学院教授などを経て、09年から現職。著書に「国際政治とは何か―地球社会における人間と秩序」、「新・国際政治経済の基礎知識」など。
- 東洋史学者であった内藤湖南の書「穏歩漸進 日々新生」(錦林小学校蔵)
高坂◉京都では住民の新しい自治組織として町組が、明治維新直後の1869(明治2)年に敷かれ、原則1組1校、計64の「番組小学校」が開校。まずは「読み・書き・そろばん」を教えました。建設費や運営資金の多くは公費に頼らず、「かまど」がある家、つまり地域住民のほとんどが提供する「かまど金」で賄われる、まさに町衆たちの力で学校教育を始めたわけです。これが日本の小学校教育の先駆けになりました。
特筆すべきことは、京都を中心に活躍していた芸術家の作品が、作家本人や地域の人たちにより無償で各学校に寄贈されたことです。当時の子どもたちは、これらの芸術作品を素材に、道徳教育に当たる「修身」や情操教育も受けていました。地域全体からしっかりと見守られ、愛されることで、おおらかな気持ちが育まれ、現在のような、いじめといった行為は生まれなかったのではないでしょうか。現在の義務教育を見ていて、明治時代の学校教育には現代の日本人の忘れている大切なものが含まれていたと、私には思えてなりません。
中西◉幕末から明治維新期にかけての日本は、災害や凶作、幕藩体制の崩壊などで混乱を極め、人々の生活は非常に苦しい時代でした。だからこそ逆に次世代を担う若者たちに対しての教育が大事だと考えたのでしょう。当時の中国など東アジア諸国の教育は官僚養成に重きを置いていましたが、日本では、誰にでも一定の教養を身に付けさせようとしたことも忘れてはなりません。こうした傾向は江戸時代、適塾、松下村塾のような私塾や寺子屋での庶民教育が発達していたことが基盤にあったことも大きな要素です。私塾で学んで、伊藤博文、井上馨、福沢諭吉など、自らの意志で海外留学した若者たちも幕末には多く出て、近代日本へと発展させる中枢で活躍する人材へと成長します。
最近は多様な情報が世にあふれ、教育自体もその波に巻き込まれ、あれもこれもと教えなくてはいけないことが多くなりすぎています。先生も新しい情報を先んじて取り入れなくてはいけないし、子どもたちも落ち着いて情操的な教育を受ける環境ではなくなっていることが、学校現場における各種の問題を生み出している要因でもあるのでしょう。
高坂◉日本の近代化を進める過程で、日本語をどうするかについて、多くの意見が出されました。明治6年に結成された日本最初の近代的啓蒙団体「明六社」の中でも、森有礼は一時、英語を公用語とし、『日本語廃止論』を発表しましたし、儒教に造詣が深い西村茂樹は漢語を重んじ急速な欧化主義に異を唱えました。こうした中、西周は「哲学」や「芸術」「理性」「心理学」などの訳語を発表し、漢語は難しいので送り仮名を振ることを主張したとされる福沢諭吉も「経済」という訳語を造りました。これらの和製漢語は素晴らしい表現のものが多く、中国などに逆輸出され、日本だけでなく、漢字圏諸国でも広く使われています。
ところが最近の日本では、役所の文章も含めて、外来語の表音部分だけを利用した片仮名表記があふれています。これは、漢字で考える能力が日本人全体で低下している証しでしょうか。例えば「グローバリゼーション」という言葉がありますが、これを読み、聞くだけでは、小中学生には意味が分かりません。ところが中国ではこれを「全球化」と訳しています。これだと子どもたちも、そういうことかと、何となく理解できそうです。今では中国の方が漢字の造語力では勝っているかもしれません。
中西◉言葉、文字は、それぞれの国や地域の文化が凝縮した鏡だと言えます。日本人そのものの性格もそうですが、日本語は非常に柔軟性に富んだ言葉で、異なる文化を受け入れやすい構造になっているのが特徴です。明治維新前後、日本の近代化に向けて活躍した人たちも、積極的に欧米文化を受け入れ、その後の日本の発展の基礎を作り上げました。ところが今日では、異文化の表層だけを取り込み、片仮名にして分かったつもりになることが世の中にとても増えています。これは学者も自戒せねばなりませんが、とりわけ政治や行政の分野で、よく分からない片仮名語で議論が進むのはとても危険です。外来文化を十分に吟味し、本来の言葉の持つ意味を理解した上で日本語に取り入れることが、日本文化の継承には大事です。
最近になって、若い人たちの中で、子どもの名前に凝った読み方の漢字を使うなど、新しい感覚ながら漢字回帰の動きが見えています。これがいいのか悪いのか一概には言えない気がしますが、片仮名語の氾濫に対する反動という面もありそうです。
高坂◉「番組小学校」に寄贈された作品の多くが、京都市学校歴史博物館(下京区)で展示されています。私も先日鑑賞しましたが、東洋史学者であった内藤湖南の書「穏歩漸進 日々新生」という言葉に感動しました。
財団法人日本漢字能力検定協会では、漢字の持つ奥深い意義を再認識していただきたいとの思いで、1995(平成7)年からその年の世相を漢字一字で表す「今年の漢字」を実施しております。本協会が制定した「漢字の日」の12月12日に、最も応募数の多かった漢字一字を、清水寺(東山区)の森清範貫主に、和紙へ大書していただきます。今年は、どんな漢字が選ばれるか、新聞、テレビなどを注目していてください。
きょうの季寄せ(十一月)
14日からすでに旧暦10月に入っている、ということなのでこの百舌鳥は秋ではなくて「冬の鵙(もず)」。
江戸時代の鵙の詠(よ)み方は「鳴くや」であり、「声」である。聴覚で楽しんだ。その中で嵐蘭の視覚は突出した把握であり、声を言外に感じさせながらあくまでも鵙を存在とし明示する。加えて和歌の世界のように木にいるのでなく、杭に仕立てた。これが俳諧である。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・22
塚本 昌宏 さん 内装業(京都市伏見区/70歳)
言の葉に思う
春は花のよう、秋は月や紅葉のよう、と四季の移ろいを褒めたたえる言葉は、幾重にもしつらえられて限りなく豊かです。
歴史を綾(あや)なす人々の、時の思い、人柄までをも31文字で伝える凄さや、古事記の昔から、おたがいを傷つけることなく、政変、事変を言葉の力で解いてきた神々や先人達の深い思いがありました。
色、香り、音色、肌触り、思い、いずれの世界にも細やかな感性に満ちた言葉に魂を吹き込み、自然を敬愛し、いのちへの慈しみの心でそれを育て上げてきた民族の伝統がありました。
今、幼い日に耳にして、心にとどめたあの美しい言葉の数々は姿を消し、魂を失ったカタカナ交じりの会話だけが、虚(むな)しく巷間(こうかん)に飛び交います。時の流れの激しさにのみ込まれて、いつしか忘れていた、私たちの誇りに、今一度心を止めて、その美しい響きに触れてみたいと思うのですが―。