日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第17回 10月21日掲載 対談

思いやる心
最澄の言葉「忘己利他」の精神を、今こそ

加藤好文さん

京阪電気鉄道株式会社代表取締役社長
加藤 好文 さん

かとう・よしふみ 1951年、京都市生まれ。75年、東北大学法学部卒業後、京阪電気鉄道株式会社に入社。経営統括室副室長、常務執行役員などを経て、2011年6月、代表取締役社長CEO兼COOに就任。経営統括室長と事業統括室長も兼ねる。

「為に生きる」 他人や社会のために生きよう

小林隆彰さん

比叡山延暦寺長臈 天台宗大僧正
小林 隆彰 さん

こばやし・りゅうしょう 1928年、香川県生まれ。比叡山専修院卒。天台宗総務室長、延暦寺執行、叡山学院院長など経て、現在、天台宗大僧正、天台宗総合研究センター長、日中韓仏教友好交流協会理事長。「比叡の心」「般若心経のすべて」など著書多数。

加藤◉京阪電鉄は一昨年、開業100周年を迎えました。比叡山へのアクセスに早くから力を注ぎ、表参道を走る坂本ケーブルは1927(昭和2)年に開通。第2次世界大戦中は山頂に人間特攻機の発射基地を設置するため海軍に接収され、ケーブルカーも特攻機を運搬する貨車に改造されました。幸い実戦に移す前に終戦を迎え、翌年、営業を再開。比叡山ドライブウェイは1958(昭和33)年に開通。世界文化遺産・比叡山延暦寺は各宗の宗祖を輩出してきた日本仏教の母山です。神聖な山に車で参拝できるようになったのは画期的なことでした。一人でも多くの方に山麓とは異なる凜とした空気を感じていただけたら、開発に携わった京阪電鉄の大きな財産です。

小林◉ケーブルカーを敷設するときは、霊山を傷つけていいのかと論争になったそうで、工事の際は山肌に開発の爪痕が残らないよう配慮していただきました。ドライブウェイのときは私もいましたが、反対はなかったと記憶しています。山全体が修行の場である比叡山の俗化は避けるべきですが、車社会が到来した今、時代に取り残され、お坊さんだけの山になっては意味がないという意見でした。開通当時、おしゃれな服装の若者や家族連れの姿に、京都一の繁華街・新京極通のようだと目を見張りました。以前は登山の服装で参拝する方が大半でしたからね。今では年間を通じ老若男女の参拝者でにぎわい、ありがたいことだと感謝しています。

イメージ その1
伝教大師最澄が一乗止観院を建立したとされる場所に建てられた延暦寺の国宝・根本中堂。
祖師が言い残した「忘己利他」の精神が、不滅の法灯とともに、今もなお受け継がれている。

加藤◉伝教大師最澄の言葉に「忘己利他(もうこりた)」があります。自分のことは後にして人のためになることをするという意味ですが、他人のことを思いやる心を、今の日本人は忘れているように思えてなりません。

京都では朝起きると家の前を掃除する「門掃き」の習慣がありますね。朝、散歩をしていて、自分の家の前の砂やごみを隣家の方に掃いている人を見かけたときは悲しくなりました。電車内や駅での迷惑な行為も残念ながらなくなることはありません。私が驚くのは、加害者の多くが一見ごく普通の社会人で、ささいなことに腹を立てていることです。周囲に迷惑をかけることが分からない年齢ではないと思うのですが。

小林◉私は最近、色紙を頼まれると「為に生きる」と書きます。私が若いころは、子どものため、親のため、社会のためを考える人が大部分でした。ところが戦後教育で個人の権利が強調された結果、他人や社会のことは気にかけず自分の利益だけを追求する人が増えたように感じます。

私は、家庭でも会社でも、穏やかな優しい顔で、相手のいいところを探して褒めようと提唱しています。仏教ではこれを「和顔悦色施(わげんえつじきせ)(和顔施(わげんせ))」「言辞施(ごんじせ)(愛語施(あいごせ))」といいます。周りの人に喜びを与え、自分も幸せな気分になれるのだから、実践してみても損はないと思いますよ。

加藤◉私の兄たちは団塊、私はポスト団塊と呼ばれる世代です。戦後の復興期に生まれたこの世代は人数が多く、小・中学校は急ごしらえのプレハブ教室、高校・大学は狭き門、就職すれば役職ポストが不足する状態でした。常に競争にさらされ、自己主張を余儀なくされていれば、怖い顔になることもあったでしょう。私もこれからは和顔愛語を心掛けます。団塊ジュニア、ポスト団塊ジュニアも親となり、中には孫のできる年代に差し掛かっています。豊かな人間性を育むために何ができますか。小林?習慣も続けると性質になるという意味で「習い性となる」という言葉があります(『書経』太甲上)。自分のことしか考えない悪習が親から子、孫の代まで受け継がれるようでは、日本もおしまいです。自分以外の誰かのため、何かのために生きるということを、私たち大人が模範となり、示していくことが必要でしょう。比叡山のサクラやモミジも枯れれば補植が必要なように、私たちも勉強が欠かせません。

伝教大師は『山家学生式』で、よく行動し、よく言う人は国の宝、言うことも行うこともできない人は国の賊だと説かれました。「今の若者は」と悲観する前に、言うべきときは言うのが、私たち先を歩く者の務めです。仏教の三世思想では、昨日・今日・明日をもって「今」と考えます。昨日の結果が今日、今日の結果が明日なので、気づいた人から直せば明日は変わると私は信じています。

加藤◉現代人はインターネットなどで情報を手軽に得られるようになった半面、自ら体験する中で苦労して身につけることを苦手とする傾向があります。地道にこつこつ努力することこそ、忘れたくない日本人の習慣ですね。最近、領土問題を巡り中国・韓国と日本の対立が続いています。互いが権利を主張するだけでなく、粘り強く対話を続けることで相互理解を深めることが大切です。

小林◉比叡山宗教サミットは今年、25周年を迎えました。対立を乗り越え、宗教的寛容と慈悲の精神をもって和解に乗り出すことの必要性が高まる中、私たち宗教者も責任を強く感じています。日本人、特に若い人には、世界のため、地球のために生きられるよう、積極的にチャレンジしていってくれることを期待しています。

きょうの季寄せ(十月)
縁に干す 蝙蝠傘(こうもりがさ)や 赤蜻蛉(とんぼ) 寺田寅彦(とらひこ)

物理学者、漱石の門下で俳号は寅日子、随筆は吉村冬彦で文名を馳(は)せる。

近頃は蝙蝠傘などと称する人はまずなく、洋傘のこと。縁はこの場合は濡れ縁に違いなく、だからそこに干してある傘の上を赤とんぼが飛んでいたり、傘の上に止まっていたり、という光景がおのずから思い浮かぶ。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・17

神原 廣子 さん (京都市伏見区/75歳)

蓮如さんの子守歌

時代祭は1895年に始まったというから葵祭や祇園祭にくらべれば格段に歴史は浅い。当初女性は参加させてもらえなかったが、第二次世界大戦による中止を経て、1950年から華やかさを添えようと芸舞妓が奉仕する婦人列が加わった。それからさらに遅れること20余年、「京都市地域女性連合会」による奉納踊りの参加が認められたのである。この踊りを会得するにはかなりの稽古を要する。会員の一糸乱さぬという心意気も必要なのである。祭り当日午後2時頃、平安神宮に祭り本隊が到着する直前に、約200人の会員は応天門に向かって奉納の気持ちを込めて踊らせていただくのである。その曲名は「優女」と「都音頭」。「優女(やしょめ)」は本願寺八世蓮如上人の作と言い伝えられ歌い継がれてきた。上人が京におられたとき、末子の九九丸に子守歌として自ら歌いお守りをされたとか。時空を超えて京に伝わるこの歌、そしてこの踊りを大切に引き継いでいきたいと思う。

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