日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第11回 9月9日掲載

青磁
見えないものへの恐れがあるからこそ
正直に生きることを教えてもらった。

諏訪蘇山さん

陶芸家
諏訪 蘇山 さん

すわ・そざん 1970年、京都市生まれ。京都市立銅駝美術工芸高で漆を、成安女子短期大で映像を学ぶ。京都府立陶工高等技術専門校・京都市伝統産業技術者研修陶磁器コース修了。2002年、4代諏訪蘇山を襲名。父は3代諏訪蘇山、母は12代中村宗哲。

イメージ その1
「練込青瓷星誕水指(ねりこみせいじせいたんみずさし)(蘇山造) 星宿文溜塗蓋(せいしゅくもんためぬりふた)(宗哲造)」4色の磁器土を使い、星が誕生する時に出す色をイメージして作った水指に、姉である13代中村宗哲が溜塗の蓋に四季の星座を配した。

青磁という焼き物は、焼き物をする人は手を出すな、と言われるぐらい難しい焼き物で、いつも目に見えないものに気を遣(つか)い、心の目を働かせなければならない。油断をして少しでも心の目が曇ると、全てが水の泡になる。

形をつくっている間も釉(うわぐすり)をかける時も特に気をつけるのが見えないぐらい小さい鉄粉。生地や釉薬(ゆうやく)に入っていると焼き上がってから目に見える黒い点となって現れる。だから、仕事中はあちこちを雑巾で拭いて、錆(さ)びた物には触らない。

青磁は自分の心を写す鏡のようなもの

イメージ その2

そして青磁は釉を厚くかけるので、釉がけにはとても神経を使う。釉を作る時から、作品に釉をかけるまで、細かい篩(ふる)いで何度も漉す。釉をかけている時は、釉の濃さを調節するのが難しく、きれいに濃くかけるために時間をかける。濃くかけるが故に亀裂が入ったり釉が垂れたりしたところを、焼き上がりをシュミレーションしながら一つずつ丁寧に直してゆく。

窯に詰めるまで、見えない鉄粉が落ちていないか作品を何度もフーフーと吹き、ホコリを飛ばすことも忘れない。

青磁は、窯の中に入れてからも気を遣う。うちの窯は電気窯だが、青磁の色を出すために赤松の薪を燃やして窯に煙を入れる。窯の温度や詰め具合を考え、窯の穴から出る炎を頼りに薪の量を調整するが、ちょっとしたことで焼け具合が変わってくる。

窯出しをするたびに、本当に自分の心を写す鏡のような焼き物だと思う。

その繰り返しのなかで、私の仕事はきちんとできているのだろうかと不安になる時もある。

「懺悔文」を唱えていた祖父に衝撃を覚えた

イメージ その3

そんな時、私の小さい頃、母方の祖父(11代中村宗哲)が生前、毎日お仏壇に向かってお経を唱えていたのを思い出した。祖父が亡くなってから、どんなお経をあげていたのか気になって、そのフレーズを思い出しながらお経の本を開いてみた。幼い私の心に残っていたフレーズは、「懺悔文(さんげもん)」だと知った時、母も尊敬する偉大なお祖父ちゃんが、毎日毎日仏様に向かって懺悔文を唱えていたということに衝撃を覚えた。

でも、小さい時から、「仏さんが見てはるえ」と言われて育った私には、祖父の気持ちが少し分かるような気がした。仏様や神様に見られているということは、いつも意識していたけれど、祖父は他人にはわからない自分の心の中の様々(さまざま)な事を、毎日目に見えない存在に問いかけ懺悔することで真っ直ぐに生きようとしていたのだろう。

物作りの家に生まれた両親のもとで私は、目に見えないものへの恐れがあるからこそ、それに向き合い、襟を正し、仕事にも日々の暮らしにも正直に生きることを教えてもらった。お仏壇の前に正座をする祖父の後ろ姿を思い出しながら、また、この家に青磁を焼くという仕事を授けてくれた初代蘇山の心を追いかけながら、もっともっと心の目を養っていきたい。

きょうの季寄せ(九月)
鰯雲(いわしぐも) 昼のままなる 月夜かな 鈴木花蓑(はなみの)

鱗(うろこ)状の雲が空をおおうので鱗雲、鯖(さば)の背の模様に似ているので鯖雲とも、鰯雲といわれるゆえんはこの雲が出る頃に鰯がたくさん獲れることによる。

秋、鰯雲が出ていなくとも、月が出ていればそれだけで充分情趣ある夜に違いないのだが、また鱗状の雲の陰翳(いんえい)だけでも空は充分情趣を醸すが、この二つの相乗効果が素晴らしい。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・11

小西 右士良 さん 元会社役員(京都市山科区/68歳)

どうしようもないヤツ

いまから半世紀程も前、僕が高校生の頃、いまは亡き父母が「山頭火は面白いなぁ!」とよく話していた。大山澄太先生主宰の確か「大耕」という小冊子を購読してのことだった。

僕はつい最近、図書館でたまたま目に留まった一冊「山頭火の妻」山田啓代著を読んだ。山頭火自身は何度も立ち直ろうとしたが、その都度失敗した。そんな自分に どうしようもないヤツとほとほと愛想が尽き、死のうとしたが、それも果たせなかった。繰り返す酒と女と乞食(こつじき)行脚。そんななかでも、俳句はいつでもどこでも心のままに詠んだ。そして、今日の山頭火が存在として残った。

青い山・岩清水・時雨・鉢の子…も人の心を打つ透き通った句になった。それは衒(てら)いもなく、こんな己を素直に是認することが出来たからではないだろうか。

一度、肩の力を抜いて、利口ぶる己を捨て去る勇気を持つことが、求められているのかもしれない。

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