日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第10回 9月2日掲載

邦楽
邦楽を次代に残すため、子どもたち、孫たちの世代に
日本古来の感性のつながりを伝えていかなくては。

小山菁山さん

尺八演奏家
小山 菁山 さん

こやま・せいざん 1940年、京都生まれ。尺八歴57年。都山流竹琳軒大師範。現在、都山流講士として各地の道場や派遣講習で都山流の古典を指導している。京都三曲協会設立に関与し、会長等を歴任、現在顧問を務める。2005年、京都市芸術功労賞受賞。

イメージ その1
「小山菁山尺八リサイタル」での都山流尺八秘曲「慷月調(こうげつちょう)」の演奏。席書きは蘇東坡(そとうば)の詠んだ「赤壁の賦(せきへきのふ)」の一節。

古希を越え、健康寿命(厚労省が算出した自立して生活できる年齢)を越え、後期高齢者に近づいてきた。ありがたいことに戦後からの激変した生活形態の変化をほとんど体験し、これからのことを考えると一番良き時代を生き抜いてこられたという幸せをかみしめている。

猛暑の7月末、大槻能楽堂で納涼茂山狂言祭 2012「妙音へのへの物語」が催され、20回目の尺八出演で、お客様に笑っていただいた。今、能楽堂舞台での痛くて辛い1時間の正座を思い出している。正座をすることは、日本の伝統的な邦楽、茶道、謡曲などでは必須の作法である。私も古典邦楽を演奏するときはほとんどが正座である。正座をすると気が引き締まるという気持ちは誰もが経験したことがあると思う。しかし、その機会は日常生活においても生活環境の変化で大幅に減少している。

一つの道の基礎を学ぶには3年は辛抱せよということ

イメージ その2

私が属している尺八界のことわざに「首振り三年」という言葉がある。これは、尺八という楽器で揺りを入れた良い音を出すのに3年はかかるということ。別の角度から言うとどんなものでもひとつの道の基礎を学ぶのには3年は辛抱せよ。ということであろう。

邦楽三曲(筝(こと)・三味線・尺八)で、古典芸術といわれているものは、筝曲「六段の調」で有名な近世筝曲の父、八橋検校(けんぎょう)(没後328年)を始めとする盲人社会で発達した江戸幕府になってからの音楽である。三味線もしかり、尺八にいたっては江戸時代も終わりに近く、しかも、虚無僧音楽から脱皮したのは明治に入ってからなのである。とはいうものの、西洋音楽の父といわれるJ・S・バッハが生まれた年に、八橋検校は71歳で亡くなっているのだ。明治維新までの徳川時代260年余の鎖国政策にあって日本独自の音楽や文化が熟成完成したのである。

日本固有の文化の本質が、伝統芸術に生き続けている

イメージ その3

かつて、中国など大陸から渡ってきた文化を日本の自然環境や日常の生活の中で、長い時間をかけて、この国の風土に合致するよう改良を加え、日本独自の文化を生み出してきた。われわれが失ってはならない日本固有の文化、美しさの本質が日本伝統芸術の中に脈々と生き続けていると思っている。

数年前ベストセラーになった数学者、藤原正彦氏の「国家の品格」に書かれていたことに、『松尾芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の俳句、日本人は静かなどこかのお寺の境内の池に蛙が1匹ポチョンと飛び込む風景を想像できる。しかし、日本以外の国では、古池に蛙がドバドバッと集団で飛び込む風景を想像するらしい。このように自然に心を通わせられるような素晴らしい感性を日本人は備えている』とあった。

日本は南北に長い国で山あり、谷あり、川ありで四季の変化に富んだ緑豊かな大地を持ち、天然資源豊かな大海原に囲まれ、清らかに澄んだ水、空気、戸外でさえずる小鳥、すだく虫の音が身近にある。平和な心、豊かな国であることが優先されるが、現状厳しい世の中であることには間違いない。しかし無形の文化、邦楽を次世代に残すべき責務がわれわれにはある。

私たちの祖父母や親の世代があの厳しい戦争時代を乗り越えて、私たちに邦楽をつないでくれたように、子どもたち、孫たちの世代に向かって、日本古来の忘れてはいけない感性のつながりを是非とも伝えていかなくてはならない。

きょうの季寄せ(九月)
露の玉 ころがり土龍(もぐら) ひっこんだり 川端茅舎(ぼうしゃ)

大正12年9月1日は関東大震災のあった日である。従来の歳時記では「震災忌」といえば、この震災を指している。死者行方不明合わせて十数万人。掲句の数と齟齬(そご)があるが、いずれにしても被災者を追悼する日である。掲句の破調、哀切の情があふれでて型におさまりきれない。

東洋城は「こほろぎよ地軸折れしと人のいふに」と恐怖を共有する。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・10

西澤 義博 さん 僧侶(滋賀県近江八幡市/63歳)

筆記具と箸の持ち方

金融機関の窓口で応対してくれた行員の筆記具の持ち方が普通でなかった。筆記具を垂直に立てて人差し指と親指で巻き込むように握って文字を書いていた。

金融機関の窓口の方といえば、その店の顔でもある。今のご時世、パソコンのキーさえ打てればそれで用が足り、筆記具の持ち方など重視されていないのかもしれない。

他の所で大人の筆記具の持ち方を見ていると、同じように人差し指と親指で巻き込んで扱っている人を見かけた。また、食事の席で箸の持ち方を見ていると正しく使えていない人もいた。

筆記具や箸の正しい持ち方は、日本の文化である。いい加減に扱っていても、本人は別段困らないのかもしれない。しかし、そのような姿は日本の文化の衰退である。躾(しつけ)とは、身が美しいと書くように、決して美しい姿ではないことは確かなことである。

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