京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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- 第9回 鎮守の森と日本人
第9回 8月26日掲載 対談
- 鎮守の森と日本人
- 宗教観の根底にある自然への畏敬と感謝の念
石清水八幡宮宮司
田中 恆清 さん
たなか・つねきよ 1944年、京都府生まれ。69年、國學院大神道学専攻科修了。平安神宮権禰宜、石清水八幡宮権禰宜・禰宜・権宮司を経て、2001年、石清水八幡宮宮司に就任。02年、京都府神社庁長、04年、神社本庁副総長を務め、10年、神社本庁総長に就任。
- 信仰対象の鎮守の森は持続可能な林業のヒント
立命館白川静記念東洋文字文化研究所長
加地 伸行 さん
かじ・のぶゆき 1936年生まれ。東洋学者、評論家。大阪大名誉教授。60年、京都大文学部卒業。63年、京都大大学院修士課程終了。2008年、第24回正論大賞受賞。同年、立命館大教授「立命館白川静記念東洋文字文化研究所長」に就任。
- 楠木正成が建武元(1334)年に必勝祈願参拝の折に奉納したとされる、樹齢700年にせまるクスノキの御神木。京都府指定天然記念物(八幡市・石清水八幡宮)
田中◉式年遷宮を来秋に控え、伊勢神宮の参拝者が急増するなど、近年、若者を中心に神道や神社への関心が高まっています。宗教学者の山折哲雄先生は、キリスト教やイスラム教の神は信ずる神であるが、日本の神は感じる神であると言われました。(『信ずる宗教、感ずる宗教』)まさに至言だと思います。パワースポット、スピリチュアル効果の有無は別問題として、目に見えない存在に近づき感じることで心の空白を満たしたいと考える現代人が増えているように思えてなりません。
東日本大震災の発生直後、近くの神社に多くの人が避難されていました。ある神主さんは大地震の起こった夜、満天の星が輝くのを見て「自然はこうした状況にあっても私たちを見守っているんだな」と感じたそうです。大きな被害をもたらした自然に対して感謝の気持ちを忘れておられないことに私は感動しました。
日本では古代から、自然界にあるもの全てに神が宿り、人間も自然によって生かされている存在だと考えられてきました。日本人の自然観・宗教観の根底にあるのは、自然への畏敬と感謝の念です。自然を崇拝する多神教的な考え方が、神仏習合にも見られる日本人の寛容な宗教心を育んだのではないでしょうか。
加地◉欧米の宗教学はキリスト教のような一神教を最高位、多神教、シャーマニズムと続き、自然崇拝を下位に序列化し、明治以降、日本でも宗教学者や知識人は、そうした欧米の宗教観を模倣しました。現在、日本人の多くは神社にもお寺にも参拝し、クリスマスを祝うことに矛盾を感じません。無宗教なのではなく、多神教的な宗教意識が複数の信仰を受け入れやすくしているのでしょう。唯一絶対神を信仰する一神教では考えられません。
終戦のとき私は国民学校3年生でした。「一番はじめは一の宮」で始まるわらべ歌があります。私が覚えている歌詞では「二は日光東照宮、三番讃岐の金比羅山」と、十まで社寺の名前が続きます。興味深いのは「六つ村々鎮守さま」という歌詞です。氏神が鎮座する鎮守の森が当時は身近な存在であったことがうかがえます。
信仰の対象として大切に守り育まれた鎮守の森は古くからの植物群落が良好に保たれ、自然資源として貴重なものも少なくありません。地域固有の植物種に配慮しながら資源を利用・保全する仕組みは、持続可能な林業を考えるヒントになるのではないでしょうか。
田中◉鎮守の森は「鎮守の杜」とも書きます。「杜」という漢字は「社」と同様、神をまつる場所を表します。かつて共同体は、鎮守の森を中心に形成され、祭りを通じて地域の人々が集い交流することで、連帯感が醸成されてきた歴史があります。東日本大震災では神社も数多く被災し、地域共同体の核が失われました。現在、神社本庁の後援で日本財団の全面支援を得て「鎮守の森復活プロジェクト」を進めています。
神道は、「言挙げせず」、明言しないことを美徳としてきました。昔なら黙っていても親から子へ自然に伝わった精神文化も、地域共同体の多くが崩壊し核家族化が進んだ現在、待っているだけでは受け継がれません。子どもたちに地域の文化や歴史について教えていくことも神社の重要な役割だと感じています。
神社や日本の文化について知りたいという声を受け、6月には神社本庁の監修で第1回「神社検定(神道文化検定)」が開催されました。予想を大幅に上回る方が受験され、中には神主さんもおられたと聞いています。神道は日本人の自然観や精神性を支えてきた物事の道理のようなもの。海外では、神道の持つ普遍性に注目する人もいます。今後は、日本の誇るべき精神文化を多くの人に紹介できるよう、世界に向けた情報発信も展開していく予定です。
加地◉近ごろ新聞を読んでいると、利己的な行動によって引き起こされた事件が目につきます。キリスト教文化圏では神への畏れが欲望のまま行動することを抑制します。戦後、日本の公教育は個人主義という思想だけ取り入れ、背後にあるキリスト教については教えてきませんでした。同様のことは他の宗教にもいえます。唯一絶対神との契約の代わりに日本で行動規範となり抑止力となってきたのは祖先崇拝でした。今こそ、自然を畏れ祖先を敬う家族中心の共同体を見直すときではないでしょうか。
きょうの季寄せ(八月)
秋になると種々の小鳥が渡ってくる。「木曽川の 今こそ光れ 渡り鳥虚子」。色々と美しさを重ね合わせて色鳥(いろどり)とも言う。
掲句は、苔寺(西芳寺)に虚子が昭和4年に訪ねた折に詠んでいる。現在この句碑が同寺に建立されているが、平明な句意を寓意として読み解きたくなるのだが、果たして如何(いかが)なものであろう。即物具象、眼前の景でよい。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・9
風間 硅介 さん (京都市右京区/70歳)
自分の国とは?
「自国を帰属集団として重視するか?」という質問に対して「YES」と答えた人の割合が、日本はわずか29%だそうだ。
そう言われれば居酒屋などで耳にする会話では、この数値を承認せざるをえないと思う時がある。自分が生まれた国の言葉、歴史、文化、風俗、習慣を受け入れて育ったのに、自国への帰属意識がこれほど低いということは、思考の基点が定まるべくもなく、自らの言動の「根っこ」が浮いてしまっているということではないかと思う。
すでに一線を退いた老骨隠士ゆえ、時代を見つめ続ける以外に手立てもないが、この奇怪な成熟社会(?)の底知れぬ寒々しさの中で、抑えようのない心萎(な)えが胸底に残る。
老骨としては「根っこ」を失ったまま、したり顔で国を忘れた者に、せめてその都度きちんと抗(あらが)ってみせることで、自らの証しを立てていきたいと思う。