京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部
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- 第6回 「始末」するこころ
第6回 8月5日掲載
- 「始末」するこころ
- アメリカ人が教えてくれた
ピューリタンの質実剛健の気風。
滋賀県立大名誉教授
脇田 晴子 さん
わきた・はるこ 1934年、生まれ。大阪府立北野高校卒。神戸大文学部卒業後、京都大大学院文学研究科博士課程修了。京都大文学博士、大阪外国語大教授等を経て、現在、城西国際大客員教授、石川県立歴史博物館長。「女性史青山なお賞」や「角川源義賞」のほか、2010年に文化勲章を受章。
私は、そそっかしい性格の上、いつも何かに追われている生活をしているので、よく忘れ物をする。1日に帽子と雨傘と何だったか大事な書類を3カ所に一つずつ、忘れたことがある。もちろん、それを取りにもう一度、来た道をたどりなおして回収した。大学の研究室や、以前従事していた「京都市史」の編さん室などでも忘れ物を思い出して、来た道をよく戻ったものだった。さすがに保育所に預かってもらっていた子どもたちを迎えに行くのは、忘れたことはないけれど。
たわいもない話はさておき、日本人が忘れてきた、大切な忘れ物とは何だろう。
空襲警報が鳴り響かず毎日が平穏な現在が好き
- プロテスタントの教えは19世紀半ばから宣教師たちによって欧米から日本にも伝えられ、全国各地に幅広い信者をもった。日本基督教団室町教会(京都市上京区)
私は戦時下に育ち、叔父の家に疎開し居候となり「他人の飯」ならぬ「親類の飯」を食べさせてもらっていた。大事にはしてもらったが、「町の子は理屈は達者だが、農作業などの仕事はできない」と周囲から見られ、子どもなりに苦労をした。戦争になったり、大恐慌になったり、その当時から考えると現在ほど暮らしやすい、いい時代は無い。何よりも空襲警報が鳴り響くことなく、毎日が平穏で、予定通りに物事が進んでいく現在(いま)が好きである。
もう何十年も前の話であるが、アメリカで日本史の研究会があり友人の家に泊めてもらったときのこと。日本近世史専攻のスーザン・ハンレー教授が、デパートで購入したプレゼントの包み紙を大事そうに畳んでしまい込んでいるのを見た。「へえー、アメリカ人もそうやって再利用するのね。アメリカの人ってバァッと捨ててしまうのかと思っていた」と私が言うと、彼女は「私はそれは日本人のことだと思っていますよ」と言い返された。彼女はイギリスから最初にアメリカに移住したメイ・フラワー号乗船者の子孫であることを誇りにしていた。
戦争の結果は悲惨だったが、私の生涯に与えた影響は大きい
彼らは諸事、質素をつらぬき無駄なことをしない厳格なピューリタンの家風であった。日本的にいえば質実剛健の気風である。戦後、アメリカの占領下、日常物資が入ってきて私たちはやっと飢えを凌(しの)ぐことができたため、何となくアメリカという国は物資に困らない国だと、そして「物質主義」の国だと想像していた。そういったことから、物を大事にするという意味での「始末」という言葉はアメリカには無いものだと思っていたので、驚いたことをよく憶(おぼ)えている。
ひるがえって現在の日本はどうだろう。物が溢れる家の中の光景を前に、食べるものが無くて困った時のことをよく思い出す。当時小学生だった私も、戦時中のことは今もありありと目に浮かぶ。戦争の結果は悲惨だったが、私の生涯に与えた影響は大きく、今も戦争・敗戦が私の人生の出発点となっている。
きょうの季寄せ(八月)
夕日を受け、刻々色合いを異にしていく雲の変幻に感動しながら、作者は手帳に「金魚大尾夕焼空の如くなり」と書きつける。しかし、物心つきはじめた頃から特に大柄な金魚の美しさに魅了された感銘は伝わって来ない。「金魚大鱗夕焼空の如くなり」と詠んでも、もの足りない。頭でっかちな表現を受け切るのは掲句の破調と比喩の確かさである。
(文・岩城久治)
「きょうの心伝て」・6
加藤 眞吾 さん 学芸員 (京都市東山区/70歳)
ガンコじじいのつぶやき
私がいま学芸員として勤めている清水寺は、年間約500万人近い拝観者がある。1日に1万2、3千人が訪れる勘定だ。
最近は外国の方々も多い。風俗習慣の違い、宗教上の制約などもあって、対応する側も戸惑うことが少なくない。
そんな中で最近、特に「困ったものだ」と感じさせられるのが、日本人修学旅行生たちの常識を欠いた行動だ。彼らには「常識」、それも「他人に迷惑をかけない」という常識の中の常識が欠落しているとしか思えない。
混み合っている人の中を、大声を出しながら、われがちに通り抜けようとする。周辺の人たちを不愉快にさせても平気だ。不愉快にさせるとか、迷惑をかけるとかいう感覚が最初から無いのだ。
引率の教師たちがこれもまたひどい。注意一つしない。こんな指導者のもとにいる子供たちが、こうなっても当たり前か、という光景が毎日のように繰り広げられている。