日本人の忘れもの 第2部

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京都発「日本人の忘れもの」キャンペーン第2部

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第4回 7月22日掲載

心やすらぐ場所
現代はどこに「市中の山居」を
求めたらよいのだろうか。

溝部脩さん

カトリック名誉司教
溝部 脩 さん

みぞべ・おさむ 1935年生まれ。68年、ローマ教皇庁立グレゴリオ大史学部博士課程修了後、上智大文学部日本史学科博士課程修了。2000年、カトリック仙台教区司教、04年、高松教区司教を経て、12年から、京都カトリック西陣聖ヨゼフ教会在、学校法人ノートルダム女学院理事。著書に「キリストの教会の歴史―れいめい期」「メッセージ―殉教者から現代の教会へ」など。

イメージ その1

「愛でる人がいるから 花は咲く」


高知市内を流れる鏡川のほとりにある鷹匠公園にみつけた句である。鏡川は水量が多い美しい川であり、市民の散歩道である。私はこの光景をこよなく愛した。ところが、川べりを歩くにつれて先の句に違和感をなぜか覚えるようになった。「愛でる人なくも花は咲く」の方が良いとの実感である。喜寿を迎えた昨年まで、私は現役で働きづめであった。宗教家でありながら、その実、管理職から管理職と長年勤めざるを得なかった。

私を癒やしてくれた四国の自然と歴史

イメージ その2
茶の湯の小さな庵は、文化、芸術に浸る場であり、孤独の中に人生を求道する場であった。
(武者小路千家官休庵・京都市上京区)

心身ともに疲れ果てたこの私を癒やしてくれたのは、地方都市、四国の高知であった。この地で、自然を愛で、書に親しみ、好きな歴史散策を楽しみ、ゆったりとした時の流れにわが身を任せる術を学んだ。人と交わることがどれほど自然で、大切なことか、子どもはこんなにかわいいものなのかに気づかされた。考えてみれば、私がした事業などはすぐ忘れ去られるに違いない。いつまでも、それにしがみついていることを煩悩と呼ぶのだろう。

茶の湯は、仏寺より市民の茶へ、ひいては武人の茶へと変貌していった。隠遁(いんとん)して山中にこもった時代から、町のど真ん中で、人生を見つめる憩いの茶室を作ったのは町人であった。町衆の茶を「市中の山居」と、当時の宣教師ロドリゲス通事は称した。町の雑踏と日々の営みの煩雑さの中で、彼らが求めた一瞬の安らぎの瞬間、場所は茶室であり、茶の湯であった。

数奇とは贅沢な貧弱であり貧弱な贅沢である

イメージ その3

ロドリゲスは面白いことばで茶の湯を表現している。「数奇とは贅沢(ぜいたく)な貧弱であり、またきわめて貧弱な贅沢である」。茶の湯の小さな庵は、文化、芸術に浸る場であり、孤独の中に人生を求道する場であった。一期一会、一座建立などといった精神性を強く意識させていた。多忙の中に鎬(しのぎ)を削って生き抜いていた町人にとっては、憩いの場であり、精神を統一する場でもあった。

現代に戻って考えてみよう。今や男性のみならず、忙しさの中に埋もれているのは女性、子どもたちでもある。疲れきった戦士たちは、町の欲望の渦に巻き込まれてあえいでいるのが現状である。偽りの安らぎに一時身を任せて生きているが、それも長続きはしない。真の安らぎを与えてくれると思われる宗教もうさんくさい臭いがする。制度に頼っている宗教は閑古鳥が鳴く寂れようである。現代どこに「市中の山居」を求めたらよいのだろうか。京都は日本人のこころのより所と言われて久しい。果たして現代の京都は、今を生きる日本人に何を差し出すのだろうか。

きょうの季寄せ(七月)
兎も 方耳垂るる 大暑かな 芥川龍之介

「破調」と前書を付す。「小暑」(陽歴7月7日ころ)、「大暑」は二十四節気の一つ、今年は本日。夏のひどい暑さとも察してよい。

野生の兎(のうさぎ・やと)は冬の季題、家兎(かと)のだらけた耳を暑さの極みの象徴として明示する。

久保田万太郎は「芥川龍之介仏大暑かな」と詠む。24日がその忌日、河童(かっぱ)忌、我鬼忌ともいう。
(文・岩城久治)

「きょうの心伝て」・4

小嶋 京楓 さん いけばな京楓流家元(京都市中京区/78歳)

大事にしたい「親心」

母親が亡くなると箪笥(たんす)にいっぱいあった着物を「もう、誰も着ないから…」といって箪笥ごと捨ててしまう人がたくさんいます。

もう、使い捨ての時代はすぎました。今は、物を大切にする心が大事です。

私はそんな箪笥に眠っている古い着物を作務衣風にアレンジして、和の心、母の心を大切に颯爽(さっそう)と着ています。と、いうのも私はお花を生ける仕事柄、着物そのままでは活動しづらく袖丈も短くして、下はパンツスタイル、これで車の運転もラクラク。と言ってもお出かけは晴れ着をドレスっぽく仕立てなおして。例えば座布団、暖簾(のれん)などに変身させる。形は変わっても母のぬくもりを感じます。

花一輪生けるのにも「一生懸命咲いてね」と花に声をかけ、また咲き終わって萎れた花にも「ありがとう」の感謝の気持ちを忘れません。いつでも誰もが、ありがとうの感謝の心を持ち続けたいものです。

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